零からのスタート

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零からのスタート

 ――不思議な感覚だ。何かの中にいるのに息苦しくない。今、僕はどこにいて、何をして――。  薄く目を開くと、世界は真っ暗だった。一瞬、背筋が凍りつく。  しかし、目覚めを自覚した僕は、数秒の間に記憶を取り戻した。なぜここにいるのかも、ここが何年後の世界なのかも完璧だ。  全てを把握し、目の前の壁を押し上げる。それは容易に開き、光を見せた。  水から顔を出した瞬間、正体不明の粒が降って来た。溶けた氷が、水となり体を滑り落ちる。何だか、空気が妙に鉄臭い。  遠くから、微かに雨音が聞こえた。  辺りを見回す。手を入れない決まりのか、床も天井も廃墟の如く廃れていた。落ちてきたのは、剥がれた天井の錆だったようだ。  あまりにも変化した環境を前に、気味悪くなった。  しかし、ここは望んでいた五百年後の世界だ。一縷の望みに賭け、やって来た場所なのである。  怖さと期待が、心の中で鬩ぎ合う。  あの頃、僕を蔑んだ人間は全員死んだ。だから、きっと大丈夫。零からのスタートが出来るはず――。  記念すべき一歩目は、起床報告が最適だろう。その為に、職員のいる一階を目指す。  だが、部屋を出るべく握ったノブは折れ、扉は丸ごと向こうへと倒れた。  怖ず怖ずと進んだ先、長い廊下が目に入る。だが、床の塗料は剥がれ、壁の鉄骨は剥き出しになっていた。  息を呑む。心が揺れる。不穏な心境になり、嫌いなはずの人間に早く会いたくなった。  軋む床を裸足で踏み、一歩ずつ進む。錆びついた床だからか、足の裏がチクチクと痛んだ。  階を上がるにつれ、雨音が大きくなっていく。その音は地上との距離を知らせた。朽ちた扉の札番号も、進み具合を教えてくれた。  そうして歩くこと数分、ようやく一階への階段に差し掛かった。  心臓が高鳴っている。顔を覗かせた先、どんな目で見られるのか正直怖い。  けれど、幸せになる為、この選択をしたのだから――。
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