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しらえぬこひ
今にも雪に変わりそうな氷雨の午後に、私は陽子の家を訪れた。
陽子に面差しの似た母親が、玄関で体を拭くタオルを貸してくれた。
そのタオルからは、陽子のにおいがした。
それまで彼女のにおいなど気にしたこともなかったのに、陽子がこの世を去ってしまってから、はじめてそれを意識した。
きっとそれは家に染みついた家族の体臭や、使っている芳香剤や、洗剤や柔軟剤やよく作る料理や、そういったすべてのものが混ざったにおいなのだろう。
私と夫と娘は、外の人にとっては同じにおいなのだろうかと、ふと思った。
母親に案内してもらった和室には仏壇があり、陽子の写真が飾ってあった。40歳の陽子。年相応の老いを映してはいたが、陽だまりのような温かい笑顔は変わらない。
本当に死んじゃったんだ……
そのことを、実感した。
「お葬式にもお呼びしなくて、ごめんなさいね。陽子が高校の時に仲良くしてもらっていたのは知っていたのだけれど、今でもお付き合いがあることは、あの子の遺品を整理するまで知らなかったんです」
陽子の母親は、娘が亡くなってから、きちんと整頓された遺品の中に私からの年賀状を見つけ、喪中はがきを送ってくれたのだという。
陽子の死因は、膵臓癌だった。
あっという間でしたよ、と母親は涙ぐんだ。
闘病している間に、陽子は身の回りのものを片付け始めた。自分より早く「終活」する娘を見るのは、さぞかし辛かっただろう。自分にも娘がいるせいか、闘病する陽子よりも母親の気持ちに寄り添ってしまう。
陽子が終活の一部として作った、「お葬式に呼んでほしい人リスト」に、私の名は入っていなかった。
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