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春の朝。桜の蕾が朝露で濡れる。まだ薄暗く少し肌寒い。
この娼館街は日の国(ひのくに)の和の様式だけではなく、様々な様式の建物や街並みが歩けば歩くほど変わる。しかし、別にあべこべに配置しているわけではなく、絶妙なバランスでどこを行き来しても違和感がない。境目が曖昧にしかしくっきりと。まるで、見えない隠し扉を通ったように景色が変わるのだ。
桜の並木を眺めるにはまだ早い時間帯。赤毛と赤には合わない水色の瞳を持つ女。しかし、その相反する色合いは彼女からにじみ出る魅力を引き立て、この世にはない美しさを強調させている。そんな彼女だが、残念なことに日の国から取り寄せた桜とは全く合っていない。和には和の美しさがあるが、彼女に着物は似合わない。そのことを理解しているのか彼女はドレスを着ていた。しかし、だからと言って和の雰囲気を汚さないよう、白い下着のようなドレスを着ていた。
そんな彼女を見つめるはこの娼館街の主。
「そんなに桜を見つめれば、桜の精にもってかれる。」
支配者の声。娼館街の主の声は女性にしては低いが決して女らしくないわけではない。女だということは分かるが、男女ともに逆らってはいけないような凛々しく存在感がある声。
「もし、そうであれば私は永遠に桜ととも土の中でしょうか。」
赤毛の女は娼館の主には目も向けず、桜を愛おしそうに見つめる。娼館街の主は咥えたキセルから煙を吹かし、まだ色つかず、蕾ばかりの桜を見上げた。
「お前の血を吸った桜か。それは美しいな。」
そう主が言えば、赤毛の女は桜を見つめたまま目を見開き、微笑んだ。
「ふふっ。そうでしょうか。」
主は瞬きを一つこぼすと、桜からまだ薄暗い空に視線を移す。
「しかし、お前の昼間の春の空の色をした瞳が土に閉じ込められるのは不満だ。」
キセルを口から外し、桜の幹を撫でる。桜の幹を撫でた手から血が滴った。その手を赤毛の女に差し出す。
「舐めろ。」
赤毛の彼女は血が滴るその血を愛しい桜の下で満足そうに舐めた。そんな彼女を娼館まで送り届けた後、また薄暗い桜並木を通る。
「アレもお前達も決して主を間違ってはいけない。ここにあるもの全て主のもの。主はここの長を務めるものと決まっている。その事を違えれば…。何年もここにいるんだ分かるだろう。」
誰もいない桜並木に主の声が響く。手の傷は消えていた。
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