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「随分頑張りましたね」
マスターに褒められて、比呂志は子供のように嬉しかった。
「でも、まだまだですね。電話かけてないでしょ?」
「だって、今日の今日だよ!しつこいって思われるじゃないか」
むくれる比呂志にマスターは妖しい微笑みになる。
「しつこいと思うか思わないかは彼女です。そこをうまく持っていくのが交渉上手な比呂志先生でしょ?」
このドSマスター!と比呂志は思ったが、ぐうの音も出ない。
「先生はそのちっぽけなプライドをまず捨てなければ、彼女に寄り添えませんよ」
いちいち正論のマスターの言葉に比呂志は反論出来ない。マスターが弁護士じゃなくて良かったと思った。もし弁護士なら絶対争いたくない。
店を出て腕時計を見ると、22時だった。
電話を掛けようか、それとも明日にしようか迷っているうちに、信じられないことに、比呂志は弥生の番号に電話をかけていてびっくりした。
無意識ってこえー。
と思いながら、コール音を比呂志は聞いていた。
『はい』
弥生の声に緊張する。
『こんばんは。月島です。保険で知った個人情報濫用してごめんなさい』
冗談ぽく言うと、弥生は笑った。
『先生が電話するからって言った時から、私のスマホの番号知っているのは分かってましたから』
比呂志はぎこちなく笑った。
『今日の今日、電話したら、変に思われるかもって思ったけど、下心とかないんで安心してください』
声が聞きたくて、下心もありありなんだけど、と比呂志は思っていた。
『彼とのこと、話すのきついよね。誰かに話したくても、俺になんか言えないよね。昼間は突然変なこと言って本当にごめんなさい』
これは本心だった。
『いえ。あんな風に言ってくれて嬉しかったです。私と彼の家族しか、この先も彼のこと思ってあげられないから。私も彼の後を追おうとした時、電車に飛び込もうとしたんです。それも朝のラッシュ時ですよ。迷惑な話ですよね。私のことおかしいと察した人が、咄嗟に腕を掴んで助けてくれました。そのあと駅員さんに連れられて、落ち着くまで女性の駅員さんが付き添ってくれて。だいぶ時間は経ったけど、社長自ら迎えに来てくれました。それからは、昼間話した通りです』
弥生は話し出したら溢れてきたのか、比呂志に全てを聞いて欲しくなっていた。
比呂志はただ黙って、弥生の話を月夜の下、桜の花びらが散る中聞いていた。
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