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重い呼吸の最中、チャミーは背中に話しかけてきた低い声に気が付いた。
「おお、モモ、久しぶり」
「え?」彼女は振り返った。「私、モモじゃありませんけど」
話しかけたのは、ニンゲン科の男だった。この世界の少数種族だ。
被毛も持たない露出した肌、マズルの無い平たい顔面にある、取ってつけたような耳鼻と芋虫のような唇が特徴である。この世界で美の基準となる尻尾も、ほとんど生えて無い。身体機能は他の獣人種より劣る割には、他者を容易に傷つける残虐性がある。近年では繁殖能力にも乏しいことが分かっている。向こう数十年で絶滅が確実視されているが、保護の価値は無い、というのが行政の考えだった。
「ああ、ごめん。猫違いしちゃった」ニンゲンの男は、肉球の無い掌を合わせた。「あんまり似ていたもので」
「誰と間違えたの?」チャミーは聞いてみた。
「昔、一緒に住んでたネコ科の女性とね。その子も君みたいに可愛くって、何でも我が儘聞いてあげてたんだけど、出て行かれちゃってね」
返答に困ったチャミーは、気持ちを表情で伝えるしかなかった。元気を出して、と言う代わりにマズルは少し笑って見せた。
男は続けた。「俺が悪いんだよ。その子に不妊手術をしちゃったから」
「え? 不妊手術って……」
チャミーの気を許していた表情が、直ぐに頑なになった。
「そのモモって人、手術させられたの?」
「ああ。ほら、無尽蔵の繁殖をしないために、獣人は生殖適齢期を迎えたら、男性は去勢、女性は避妊の手術を受けるよう義務化されたろ? 成獣不妊法だよ。違反すると俺まで罰則だから、仕方なかったんだよ」
「その法律の名前、聞きたくもない!」
チャミーは会話を打ち切り、男の傍から離れようとした。男は何かに気が付いて、彼女を呼び止めた。
「もしかして、君? 今日の手術の女の子?」
「そうよ! だから何!」
「何だそうか。挨拶おくれてごめんね。俺は今日、君を手術するドクターだ。よろしくね」
ニンゲン科の男の露出された肌の顔が、何かを楽しみにしているような笑みに変わった。それを見たチャミーの背筋は凍りついた。外の雨雲は、いつの間にか雷鳴を引き起こしていた。
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