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2.儀式
部屋を出て、年季の入った旅館の廊下を三人で歩く。途中で他の部屋から出てきた女の子と出くわして、おはようございます、とにこやかに挨拶をした。
「今の、どこの酒蔵の子だろうね?」
「さあ? 講演会のあとに自由時間があるみたいだから、そこで色んな子と話せるって言ってたよ」
「わー、楽しみ! 講演会が無ければいいのになぁ」
「小春ったら、遊びに来たんじゃないのよ? 講演の最中に寝てたら、お父さんに言いつけるからね」
「えー!!」
そんなたわいのないやり取りをしながら廊下を進んでいくと、前方から汗だくの男性が私たちに向かって走ってくるのが見えた。ぎょっとして立ち止まると、それはこの交流会の主催者である東雲酒造の社長さんだった。
「ああ、よかった! いた! はぁっ、はぁっ、春日酒造の、えっと、天音ちゃん!」
「は、はぁ……おはようございます。どうしたんですか?」
「おは、はぁ、おはよう! あの、悪いんだが、天音ちゃんだけ、別の部屋に来てくれないか!?」
「え……?」
ぜえぜえと荒い息を吐く社長さんは、どう見ても切羽詰まった様子だ。朝からどうしたというのだろう。隣に立つ妹たちも、慌てた様子の社長さんを見て心配そうに眉を下げている。
「ど、どうしたんですか? 何かトラブルとか?」
「そういう、わけではないんだが……す、すまない。詳しいことは私の口からは言えないんだ。とにかく、天音ちゃんは私に付いてきてほしい。夕月ちゃんと小春ちゃんは、予定通り講演会に向かってくれないか」
一瞬、夕月と小春が不安気に私の顔を窺った。それでも、なぜか必死な様子の社長さんの剣幕に圧されて「分かりました」と頷く。小春はまだ不安そうな顔をしているけれど、夕月が一緒にいれば大丈夫だろう。
「……夕月、小春のことよろしくね。用事が終わったらお姉ちゃんも行くから」
「うん、分かった」
「すまないね、三人とも……じゃあ天音ちゃん、こっちへ」
ようやく呼吸の整った社長さんの後に続いて、大広間とは逆の方向へと歩き出す。何が起きているのかよく分からないが、一番年長である私が呼ばれたということは何か手伝ってほしいことがあるのかもしれない。そう思って、私はもう何も聞かずに社長さんの背を追った。
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