桜の下で

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それから他のお客さんが来るまで、4人で他愛のない話をした。まさか白浪さんや海野さんと、こうして話をするとは思っていなかった。話の最中、やはり海野さんが時々見せる穏やかな顔はどこかで見たことがある気がするし、白浪さんが呼んで初めて知った“健次さん”という名前も、聞き覚えがある。 結局思い出すことなく、僕と春川さんははぐるまを後にした。 「秋明くん、ありがとうね。おかげで吹っ切れたよ」 春川さんは晴れ晴れとした笑顔を見せてくれる。 「どういたしまして。あとでお店に行かせてもらうよ」 「えぇ、お待ちしているわ」 こうして別れる頃には、敬語はお互いにやめるまでには親密になれた。これはかなり大きな収穫だと思う。 「ではまた」 「お元気で」 春川さんと手を振りあって別れると、重たい足取りで屋敷への道を歩く。 屋敷に戻ると、執事の松川が出迎えてくれる。 「おかえりなさいませ、秋明様。奥様がイギリスから帰国して、今はお部屋で休んでおられます」 あぁ、そうだ。思い出した……。 「そう……。疲れているだろうから、あとで顔を出すよ」 僕は松川の返事も聞かず、自室に戻った。 『ねぇ、秋明。この人素敵でしょう?』 僕がまだ幼稚園児の時、母さんは自分が若い頃の写真を見せてくれた。 『海野健次くんっていうの。年下だけど、とても頼りになる人だったわ』 知らない男性と若い母さんが並んで微笑んでいる写真を、母さんは大事にしていた。 『ねぇ、秋明……。この人が秋明のパパだったらよかったのにね……』 あの時の冷たい目を、抑揚のない声を、僕は鮮明に覚えている。 「……父さんが出ていった原因だ……」 口にしたところで父さんが戻ってくるわけでもなく、海野さんを憎むわけでもなく。 ただ、このどうしようもない過去をどうしていいのか、今の僕には分からないでいる。
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