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「ちがっ、違うんです……! あなたが、あんまり優しいから……」
女性はなんとかそれだけ言うと、顔をおおって泣き出してしまった。女性がこういう風に泣くのは、大抵失恋した時と相場で決まっている。けれどそれはあくまでも物語の中の話。
「お気が済むまで、泣いてください」
ダメ元で両手を広げれば、彼女は僕に抱きついて大声で泣いた。そんな彼女を、僕は片手で軽く抱きしめ、もう片手で美しい茶色がかった髪を撫でる。
色合いからして染めたのではなく、生まれつきなのだろうと、妙に冷静になりながら女性が落ち着くのを待った。
女性はひとしきり泣くと、恥ずかしそうに僕から離れる。
「すいません、怪我の手当していただいた上に、急に泣き出して……」
「いえ、構いませんよ。もしよければ、何故貴女が悲しまなければいけないのか、聞いてもいいですか?」
「実は、失恋をしまして……」
女性は俯いて小さく息を吐くと、意を決したように頷いてから、ポツリと話し出した。
「私、パン屋さんで働いているんです。毎朝喫茶店のマスターが買いに来てくださっていて、その人のことが好きでした」
喫茶店のマスターと聞いて思い浮かべたのは、はぐるまという喫茶店の無愛想なマスターだ。そうだ、後で彼にも詫びをいれなくては。
「その人のことは、いつから好きだったんですか?」
「初めて会った時、4年くらい前かしら? 見るからに無愛想な人なんですけど、話してみると結構気さくな方で……。食パンの試食をした時に『やっと納得いくのが見つかった』って、その時の満足したような顔が未だに忘れられないんです」
女性は愛しげな目をして、“マスター”について話す。
「いわゆる一目惚れってやつですか」
「えぇ、そうね……。初めて話した時に珈琲と煙草の匂いがして、“あぁ、いつかこの匂いに包まれたい“なんて思いました。……って、なんか気持ち悪いですね」
女性は悲しげに、すいませんと笑った。
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