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「…月が綺麗ですね」
などと使い古された文句を君は呟く。
小説家の私の家に住み込みで働くこの姪っ子はまだ17の学生だ。ろくな食事を摂らずに救急車騒ぎになった私の元に、妹が半年前から派遣させている。
「叔父様の小説、大好きなので…」
なんて恥じらいながらつぶやくので私も無下にはできず、どうせならここに住めばいい、と冗談交じりに提案すると二つ返事で了承されたのが3ヶ月前。
なにはともあれ、濃紺のセーラー服と高く結われた髪は40を過ぎたおじさんにはちと眩しすぎた。
「…ずいぶんと使い古された文句を使うんだね」
「使い古される文句には使い古されるだけの理由があるんですよ」
「はは、それもそうか」
私は思わず苦笑した。
かの夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したのは今となってはあまりに有名だ。長く使い古されすぎて、もはやそこにいじらしい純愛の香りはさほど感じられない。
「僕らの関係は、そんな純愛じゃないなぁ」
「それは先生のせいです」
「40過ぎたおっさん相手にしちゃう君も相当だと思うがね」
おいで、と縁側に呼び寄せる。
まるで従順な子犬のように彼女は私の隣に座る。
髪を手で梳いてやるとふわりといい香りがした。
「…先生は、私がお好きなんですか、それとも17の女の子がお好きなんですか」
いじけたような瞳と微かに紅い頬。
その若く瑞々しい姿に見惚れていると、瞳を少し潤ませてまた問う。
「私は、出ていかれた奥様の代わりですか」
この歳にもなって色恋沙汰で自制が効かなくなるなんて、私はなんて大人気無いのだろう。いや、そんなもの知ったことか。私は静かに答えた。
「…愛してるよ、狂おしいほどに」
そしてまた私はこの紅く染まる若い蕾を、優しく強く抱くのだ。
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