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北海道の小樽にある「ひかり園」という養護施設が私の家だった。
五月のよく晴れた日の朝。
ひかり園の門の横にある大きな桜の木の下に、私は捨てられていた。
満開の桜の下で、真っ白いおくるみに包まれて、小さな段ボール箱の中でふにゃふにゃと泣いていた私を見つけた時、優子先生は捨て猫に違いないと思ったそうだ。
生まれて間もない小さな赤ちゃんを抱き上げて、ひかり園の子供にしてくれた優子先生。
段ボールの箱の中に桜の花びらがたくさん降り注いで、小さな手の中にもぎゅっと握っていたのよと教えてくれた。
だから「美桜」と名付けたのだと。
身元のわからない孤児に苗字は無い。
姓は自治体の長が付ける決まりで、私の姓は市長さんが付けてくれたそうだ。
「北里美桜」
この北の地を自分の里と思って強く生きて欲しいと願って付けたと教えられた時、血を分けた家族はいなくても、私を見守っていてくれる人はいるんだと温かい気持ちになった。
ひかり園のお母さんである優子先生と、たくさんの兄弟姉妹。
子供たちは養子にもらわれたり、実の親や親せきに引き取られたりして、数年間で入れ替わることがほとんどだった。
捨てられた時生後間もなかった私は、本来なら養子縁組の希望があったのだけれども、どうやら月足らずで生まれた未熟児だったために発育が悪く、喘息やアトピーなどの持病もあったことから里親に引き取られることもなく、高校を卒業するまで園で過ごすことになる。
高校を卒業したら、ひかり園を出ることは決まっていた。
園を出た子供たちはみんな就職をして一人暮らしをしていたけれど、私はどうしても大学へ行って勉強したかった。
純粋に勉強がしたいと言うよりも、学歴というものが欲しかったのだ。
親も頼れる親戚も何一つ持たない十八歳の女の子が、たった一人で世の中に飛び出すには、何か一つでも自分を誇れるものが必要だと思っていた。
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