no_sex_is_life

63/109
前へ
/110ページ
次へ
54.悲劇と情熱のAセクシャル  自身のAセクを、悩みと捉える人とステータスと捉える人がいるような気がする、とはユカリ(仮名)さんの談。  ユカリ(仮名)さんと俺は明らかに前者。そうじゃなきゃこんな話はそもそもしてない。  後者の中には時々、ちょっと融通の効かない人がいる。誰も自分を理解してくれない、という悲劇の中に落ち込んでしまうタイプだ。これはAセクがどうこうだけではなく本人の性格もあるのだろうけれど。  そんな悲劇派(?)は全力で自分のセクシャリティ傾向を主張する。周りに自分を理解して貰いたいという情熱は人一倍持っている。  ただでさえ理解者が現れにくいAセクシャルがそれをやってしまうと、非Aセクとの恋愛抜きの人間関係までぎくしゃくしてしまいそうなんだけど、彼ら(彼女ら)にとってAセクは、やっと定義を見つけられた自分のステータスだから曲げるつもりが全くない。  そんな悲劇と情熱のAセク派にとって、時にAセクという定義は毒になりかねないな、と見てて思う。  Aセクなんて定義がなくて、自分1人だけが世間と違ってズレているのだ、という方向で確信が持てていたら、嫌でも妥協の道を探さざるをえなくなるのではないか。  自分はAセクだからということを言い訳にして、他人と折り合おうとする努力を放棄しているんじゃないか。  そんなことを考えたりする。  もちろん、これは「無関心派」Aセクだからこその考えなのかも知れないとは思う。理解して欲しいという努力をしないのは、他人が俺のことどう思おうと知ったこっちゃねえという裏返しでもあるから。  人間関係は難しい。  だからこそ俺も幸運だった。彼女に出会えたことは。とても。
/110ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加