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ところで、罪悪感という感情は、ある意味では罪悪そのものよりタチが悪い。
罪悪とは犯罪や違法行為、人道に背理する行為を指す。罪悪を犯した人間は刑法によって裁かれるべき対象となる。
早い話が罪悪を犯した人間は、他者によって受動的に罪の重さを決定され、他者によってその償い方を強制的に決定される。つまり、犯した罪悪の後始末について、当事者本人が頭を悩ませることはない。
一方で、罪悪感という言葉は、様々な意味で漠然としている。
正義感という言葉に、自らが信奉した似非の正義に酔っている愚かさが滲むように。
万能感という言葉に、自らが過信した似非の万能に踊らされている愚かさが滲むように。
罪悪感という言葉には、自らを処罰ーーあるいは宥恕してくれる存在に巡り会えない無念さが滲み出ている。
罪悪感は、日常の些細な過ちに潜んでいる。
店を出てから、お釣りを多く貰ってしまったことに気づいたとか。
親友から借りたものを、返すのを忘れていたことに気づいたとか。
上司の十八番を、誤って先に歌ってしまったことに気づいたとか。
ならば、
店に戻って、多く貰ってしまったお釣りを返せばいい。
謝罪の言葉を添えて、借りたものを親友に返せばいい。
上司の機嫌を損ねたのならば、仕事で取り返せばいい。
この程度の罪悪感なら、解決策さえ誤らなければ、簡単に払拭できるだろう。
しかし、払拭する手段すら見当のつかない罪悪感は、
何の前触れもなく、
何の前置きもなく、
晴らしがたい暗雲を胸中に立ちこめさせる。
たとえば。
誰にも口外できないような、倫理に悖る禁忌を犯した罪悪は、
誰が裁いてくれるのだろう。
誰が赦してくれるのだろう。
もし、
誰も裁いてくれないのなら、
誰も赦してくれないのなら、
自らが断罪するしかない。
自らが贖罪するしかないーー。
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