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僕が彼を先生と呼び、慕う理由は、とくにない。 それらしいものが、これと言って存在するわけでもないのだ。 まあ、彼の書く話は奇譚と呼ぶにふさわしい妖もので、ミステリのようだったり、ホラーのようだったり、サスペンスのようだったり、はたまたお伽噺のようだったりして面白い。僕は彼の一ファンだ。けれど、先生と呼ぶほど熱狂的ではないし、物書きを目指しているわけでもない。編集者や付き人でもない。 僕は彼の「何」なのか。僕にもそれはわからない。 あのあとの僕らは身をいたわるようなセックスをし、衰弱した彼に合わせてほんの少しの食事を取ったのち、なぜか車に乗り込んだ。そして、深夜の海辺でドライブをしていた。今はちょうど、車を適当なところに止め、砂浜に降りてきたところだった。 「明智くん!」 「はい、先生」 「そこにいるかい!」 「いますよ」 「暗くて見えないよ! あははは」 真夜中の彼は本当に無邪気だ。子供みたいに砂の上を走って、海に指先をつけている。大きな真っ暗に呑み込まれると言う現実に、笑い声をあげて楽しそうにしている。常人なら怖くて仕方がないはずなのに。母なる海はどす黒かった。 「あははは。明智くん、海が真っ黒だ。これは証明できない世界の神秘だね!」 「そうですねえ」 「海に色などない!」 真夜中の彼は潮風にも負けない。今日は幸い月が薄らいでおり、星の瞬きも雲に打ち消され、本当に暗くて重い夜だった。だから彼は元気なんです。僕はよくしっていた。 「明智くん! 僕が見える?」 「見えませんよ。真っ暗ですもの」 「僕は明智くんが見える」 「さっきまで、見えないとか、言ってたくせに」 じゃばじゃばと水を切る音が聞こえる。彼が遊んでいるのだ。波打ち際で。ざざあん。ざざあん。波が泣き叫んでいた。
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