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私はふと、卓袱台の横に山積みになった本を思った。
ウェルテルを友としなくなったのはいつからだろう。ハンス・カストルプを兄弟としなくなったのは。美しい蝶を握りつぶしたあの少年に同情を寄せなくなったのは……。
私の青春時代を確かに彩った物語達は、もはや私にとってなんの慰めにも足り得なかった。あの莫大な感情の爆発と自我の膨張は、今の私から永遠に断絶されてしまっているのだ。
その無感動は過去との永訣だった。私はいつの間にか極彩色の魂を埋葬していたのだ。
若さと未熟さとに決別するため、目まぐるしく押し寄せる日々の中で、私は色彩を手放していった。今の私にあるものは、上位の存在から命令を下されて作動する、この死のように空虚な肉体だけである。僅かばかりの燃料があれば、お望み通りの働きを見せる。それが、それだけが私だ。人間だ。「Ⅰ」を失い「死」のみとなって、蹴り飛ばされ、路傍にうち棄てられた名も無き小石だ。
――そうだ、死だ。私は死を想った、終末を想った。
一体全体、このまま私が死ねばどうなるのだろう。私はもう、指の一本たりとも動かすことができないのだ。この二つの眼の上には、ただ虚ろな闇が降りてくるばかりである。
私は疲れてしまった。このまま目蓋を下ろして、そして二度と目覚めなかったら……誰が私を見つけてくれるだろう? 私には兄弟がいない、故郷の両親も数年前にこの目で看取った。互いの家を行き来する友などもってのほかだ。
もし、見つからなかったら。体内に残った糞尿を垂れ流し、筋肉が硬直し、膨張し、腐り落ち、それが液体となってこの畳に染み込んでいく……きっと耐え難いぐらいの悪臭を放ち続けるのだろう。
嗚呼いやだ、嗚呼おぞましい。どうせなら溶けた体は爽やかな水になって、地に潤い、生物の飲み水となり、花々を咲かせるような、そんな良いものになりたいのだ。せめて誰かの、何かの役に立つ美しい死を望みたいのだ。
それが叶わぬのなら、どうかその前に。
この身が骨だけになるその前に、誰か、私を……
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