17.訓練開始

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「エアロックはない。そのまま入っていい。それじゃ、クリフから」  マディソンが梯子の方を手招きした。クリフは小さく頷き、登り口に向かって歩き始めた。 「ゆっくり登るんだ。重力の違いを頭に入れて、足元に注意してな。滑り落ちてきても、誰も受け止めないぞ」  クリフォードが言った。振り返ってみると、火星に来て以来、梯子や階段を登るという動作を一度もしていないことに、ケイは気付いた。クリフはまず右手で梯子をつかみ、左足をはしごの一段目に載せた。 「ん、ちょっと滑る感じがする」 「重力が少ないから、摩擦力が弱いんだ。少しフワフワした感覚がするだろう。ブーツの底は滑り止めの加工をしてある。安心しろ」 「了解」  クリフは次に左手で一段上をつかみ、右足を二段目にかけた。イヤホンからは荒い息遣いが聞こえてきた。  格段に動きやすくなったとは言え、さまざまな装備のついたスーツを着て、四メートルの長さの梯子を登り切るのは、意外と骨が折れた。入口のドアにたどり着いた時、ケイは軽く汗をかいていた。力はたいして使わなかったが、重力の違いは手や足の運びの勝手を狂わせた。自分の重量が、梯子にきちんと乗っている手応えがなく、途中で宙を漂いながらしがみついているような感じが何度もした。登り終えたあとは、体力というより、精神的に疲労した。  クリフとケイがそれぞれ五分ほどかけて、ゆっくり登ったあと、マディソンとクリフォードは、駆けるようなペースで一気に上がってきた。息を乱すことなく、ドアの枠に手をかけたクリフォードは「慣れれば、こんなもんさ」と言った。 「我々は、帰還船の様子を定期的にチェックしている。この厳しい環境に、少なくとも二年は放置するのだから、メンテナンスはきちんとしておかないとならないからな。だから、最低でも二カ月に一回はこの梯子を登っている。エンタープライズ用の四人乗り帰還船はもっと大きいから、六メートルは登らなきゃならない」  マディソンがこともなげに言った。 「落ちたことはないんですか」  ケイが聞いた。クリフも頷いた。同じ質問をしたかったらしい。 「あるさ、何度もな。でも、バスケットを思い出してみろよ。一番上から落ちたら、足首の捻挫くらいはあるかもしれないが、二、三メートルの高さだったら、全く問題ないね」。そう言いながら、クリフォードは帰還船のドアを閉めた。
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