19.ジェニファー・ハイド

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19.ジェニファー・ハイド

 三日間に及ぶキャンプを終えて、四人がマーズ・フロンティアに無事帰還した日は、火星の夏に特有の小規模な砂嵐が頻繁に発生していた。瞬間最大風速百㍍近い風が、地表のパウダー状の細かな土砂を盛んに巻き上げた。  空は赤茶け、ただでさえ弱い太陽光をさらに遮り、真昼でも夕暮れのように薄暗かった。時折、遠くで竜巻も発生した。ただ、空気の薄い火星では、百㍍の風速でも小指大ほどの石さえ動かすことはできない。体に感じる風圧は、地球だと春のそよ風程度で、強風自体に危険はさほどない。しかし、恐ろしいのは、視界狭窄に伴う方向感覚の喪失だ。吹雪の中で起こる「ホワイトアウト」が砂嵐の中で起こるのだ。帰路で先頭を歩いたクリフォード・マクガイバーは、時折この「レッドアウト」に襲われ、何度も火星版GPSを覗き込み、コロニーの方角を確認した。そのせいもあり、晴れて風がほとんどなかった行きに比べ、移動時間は倍以上かかった。  軽い疲労感を抱え、コロニーに戻った四人は、エアロックで、ユージン・ブレ博士の出迎えを受けた。 「お疲れさま。貴重な経験ができただろう」  エアロックとハブをつなぐ通路に出てきた四人に、微笑みながら語りかけるブレ博士を目にして、ケイは何だかとても懐かしい錯覚を覚えた。キャンプの間は、厳しい表情をしていたマディソンも目尻を下げ、ブレ博士と談笑している。背後にはさまざまな問題や葛藤を抱えている二人だが、この時ばかりは親しい友人のように見えた。  ハブからサラとアダムも出てきて、歓迎の輪に加わった。コロニーを離れたのは、たった三日間だったが、戻ってみるとコロニーが以前にも増して「我が家」に感じられた。  ケイは自分の居室に戻り、三日ぶりに与圧服を完全に脱いだ。思い切りシャワーを浴び、Tシャツに短パンというくつろげる態勢になった。宇宙船の中や移動式ハブの中でも与圧服は脱げるが、緊張から完全に解放されることはない。だが、コロニーに身を置くと、ここが火星だということも忘れ、心も体もリラックスできた。火星到着時は、ハブの中でもどことなく落ち着かなかった。訓練キャンプを経て、火星の住人に少し近づいたのかもしれない。
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