21.プレゼント

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「今晩空いているかな」  ハブの通路ですれ違ったユージン・ブレ博士が、話しかけてきた。いつも通りの精悍な顔つきだ。手には携帯式のコンピューターを抱えている。 「今晩ですか? 多分大丈夫だと思いますよ。レポートの送信は午後六時ごろまでに終わる予定ですから」  この日は出発を五日後に控えたビークル班六人のレポートをニュースとして送ることになっていた。インタビューはすでに終えてあり、あとは編集するだけだ。 「アダムが君に話したいことがあるみたいなんだ。今夜はうちの家族で食堂を使えることになっているのだが、一緒にディナーでもどうかね」 「アダムが…。最近はバスケットボールで遊ぶ暇もないですからね。分かりました。喜んでお邪魔させてもらいます」  ブレ博士はニコリとして、「それじゃ午後七時に食堂で」と言い、コロニーの中央管制室の方に歩きかけた。 「あ、それからケイ。聞いているかな」  博士は急に振り返った。 「何のことでしょうか」 「今朝なんだが、また中国が大きな発表をしたよ」 「中国が…。火星がらみですか」 「いや、今度は直接関係ないが、いずれ影響してくるかもしれない」 「どういった内容なんですか」 「月への商業航路の開設だ」 「月航路? 中国は今でも持っているじゃないですか」 「それが違うんだ。民間人を大量に送り込む商業的な航路を開くというニュースだ」 「商業的…」  それは不思議な話だ。月面観光は一時、大金持ちの間でブームになったことがあったが、コストが余りにも高過ぎたため、いつまでたっても旅行代金は一般人が行けるほどに安くならなかった。宇宙に関心のある大金持ちはそれほど数多くはおらず、当初の旅行熱が一段落した途端、ツアーには空きが目立つようになった。旅行会社は、これ以上の需要は見込めないと、月観光に見切りをつけた。十年以上前のことだ。 「君も同じ疑問を持ったようだね。私も商業的という言葉の意味をどう解釈して良いか分からずにいる」 「観光ではなさそうですね」 「私もそう思うが、表面的には逆だよ。中国は観光を前面に打ち出している。スクラムジェットのスペースプレーンを一年以内に建造して、宇宙ステーションとの定期航路を開く。ほどなく、ステーションと月面基地との往復を開始するというリリースだった」 「スペースプレーンはどのくらいの規模ですか」 「発表では詳しく明らかにされなかったが、本部筋の情報だと、三十人乗り程度らしい。かなり意欲的なサイズだね」 「となると、月面基地への輸送力も相当なレベルでしょう」 「その通りだ。スペースプレーンは月に二、三回のフライトを計画しているとのことだ。もし、満席が続けば、月面人口は一時的に倍以上になるね。ただ、分からないのは、月面にそれだけの人を運ぶ理由だ。観光なら、数人規模で充分なはず。たとえ一時的にでも、何十人もの人間を月面で養うには、相当な設備と資源が必要になる」 「月面の滞在期間を短く設定しているのでは…」 「その線もある。ただ、別の見方もできる。月面に行った人間が、地球に戻るのではなく、すぐに別の場所に向かう可能性だ。月が中継基地として使われるとしたら、滞在は一日、二日あればよい」 「まさか…。その行き先は…」 「火星ということが充分にあり得ると思わないかね」  ケイは農場の責任者、ペドロがいつか話していたことを思い出した。彼は、中国が火星コロニーを数百人から千人規模に拡大する目標を持っているのではないかと推測していた。 「中国月面基地の金属素材生産量に、半年ほど前から、変な動きがあったというのは、デイブ君のレポートにもあったね。増産分で『火星』を建造したのだと思っていたが、実はそれ以上のプランが隠れているのかもしれない。月経由で火星を目指すというルートは、初期の火星有人飛行でも検討されたが、技術と資金の問題から回避された。それで、有人船は地球の軌道上から打ち上げられることになった。しかし、重力が火星の半分以下の月が、地球より優れたロケット発射場であるという科学的事実は変わらない。インフラとエネルギーさえ十分に確保できれば、月の方が地球より数多くの火星向け宇宙船を安価に安全に発射できる。中国が月で何をしているのか…。それを早急に知る必要がある」 「航路が実際に運用されるのは…」 「発表だと一年半後だ。二年後の火星飛行適期にピタリと符合するのも、偶然ではないような気がする。中国の宇宙開発の流れは、すべて二年後を指している」  ブレ博士と別れた後、ケイは地球のデイブにこのニュースに関する情報を求めるメールを送った。返事は二時間後に届いたが、ブレ博士に聞いた以上の内容はほとんど含まれていなかった。「本部でも中国の意図を読みきれていない」とデイブは書いていた。
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