21.プレゼント

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「もちろん。オリンポスの往復に、毎回帰還船を使う訳にはいかないからね。地上移動だと時間がかかり過ぎるし、危険も多い。ビークルの数だって限りがある。物資を運ぶのは、空を使うのが第一だよ。無人機の運用がうまくいったら、その次の段階では、二、三人乗りの有人に挑戦したいと考えている。うまくいけば、オリンポスに一日掛けずに行ける」  ブレ博士は楽しそうに話し続けた。確かに航空機の開発は、この星での人間の活動を飛躍的に向上させる。力を入れたくなるのはよく分かる。ブレ博士が再び口を開こうとした時、横に座っていたサラが「そろそろボルシチをいただきませんか? せっかくのごちそうが冷めてしまいますよ」と声を掛けた。 「おっと、そうだね。まずは、腹ごしらえといこうか」  ロシア人のブレ博士が手作りしたボルシチは、味と香りが濃厚で、さすがに美味かった。腹が空いていたこともあって、四人の中で最初に皿を空にしたのはケイだった。 「まあ、随分急いで召し上がったのですね。ボルシチは逃げないわよ」 サラがうれしそうに言った。 「とてもおいしかったですよ。最近は忙しいのもあって、食堂を使う機会が少なくて、いつも携帯食で済ませていました」  ケイはコップの水をすすった。水は気持ちよく冷えていた。おいしい料理の後は、普通の水すらもいつもと違う味に感じられた。ユージンがおもむろに口を開いた。 「それはいけないな。何度も言うようだが、食事はとても大事なことだよ。食事が雑になると、精神が荒廃する。集中力や判断力が鈍り、いい仕事ができなくなる。それは、自分だけでなく、コロニー全体にとって大きなマイナスだ。幸い、この星には、時間と二酸化炭素だけはたっぷりある。目の前の仕事の緊急性にもよるが、まず大切なのは、自分の肉体と精神の健康だよ。オリンポスに行っても、これだけは忘れないで欲しい」  ブレ博士のこの言葉を聞き、ケイは地球との違いを改めて痛感した。この星では、人間が生きていく上で最も重要で基本的なことが尊重されている。地球では、目の前の仕事、それは大抵今やらなくても、やるのは自分でなくても構わないような仕事に、いつも追われていたような気がする。そのせいで体調を崩しても、それは自分の管理が悪いということになる。ケイはこの時、地球で常用していた頭痛薬を、火星に来てから全く服用しなくなっていたことを人ごとのように思い出した。
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