22.ビークル発進

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 駅は普段、与圧されていない。空気も火星の大気をそのまま取り入れているが、ビークルの出発準備で人の出入りが頻繁になるので、十日前から、ハブと同じように与圧し、呼吸可能な空気を充満させてあった。  地上班のリーダーに任命されたクリフォード・マグガイバーは、駅に与圧服なしで入室できるようになってから、ほとんど自室に戻らず、マシンの整備や積載貨物の点検に時間を割いていた。 「クリフォード、いよいよだな」  ケイが駅を訪れたのは、出発予定の三時間前、午前五時を少し回った頃だった。 「やあ、ケイ。どうしたんだい、こんなに早く」 「何だか熟睡できなくてね。クリフォードはどうだい? 準備は完璧か」  クリフォードは手に持ったコンピューターパッドを振りながら、「チェックは何十回もしたけど、何か忘れものがある気がする。子供の頃からいつもこうなんだ。心配性なんだな」と笑った。  出発を間近に控えた二台のビークルは、部品の一つ一つに至るまで細かくチェックされた。格納庫内に充満したグリースの匂いが、整備の丁寧さを物語っている。  三週間に及ぶ長期ミッションに向け、二台には独特の工夫が施された。キャメルの荷台は、自己の体積の七百倍の水素分子を吸蔵できるパラジウムを主体とした特殊合金に交換された。ここに純粋な水素量として二十数㌔を貯蔵する。この水素全てを燃料電池に回し、生み出した電力すべてを駆動用の電気モーターの作動に使うと、モーターだけで優に百㌔以上は走れる計算だ。  ただ、この水素は、ただ走るためにではなく、水や酸素を生み出す生命維持サイクルの核として活用し、燃料製造にも一部を使用する。しまっておいた水素を取り出すには、電流を流すか、摂氏百度近くに温度を上げてやれば良い。幸い、火星は外気温が低いので、貯蔵時に温度上昇のロスを余り考慮しなくて済む。  水素を含んだ荷台の上には、六人が三週間を過ごすための食料や水、燃料電池の予備などがコンパクトに積み込んである。二、三日の旅なら、チューブ食だけで事足りるが、これだけ長期になると、そのような食事だけでは士気が上がらない。コロニーで生活するのと遜色ないほどの食料がたっぷりと用意された。水は飲用だけでなく、万一の際には、電気分解して水素、酸素を取り出す素材としても極めて重要だ。メタンエンジン燃焼の副産物として生成される水もできる限り利用するが、コロニーからも三百㍑を持っていく。  目指すオリンポスまでは、地図上の直線距離で約二千五百㌔離れている。しかし、真っ直ぐに行ける訳ではない。障害となる地形を避けて進むと、実走行距離は三千㌔を上回ることが予想された。バギーとキャメルはそれぞれ百㍑ほど入る燃料タンクを満杯にして出発する。さらに、バギーの後方には、百㍑入りの液化メタンの予備タンク四本と酸素タンク二本が、ロケット砲のように二段組でくくり付けられていた。  地球だと、四百㍑もの液化メタンを入れた容器を積むと、それだけで一㌧を超す重量になるが、火星は重力が地球の三分の一だ。乗員一人をキャメルに回した分で何とか積み込むことができた。計算上はこのメタンだけで、二台がオリンポスまでほぼ走り切れる。  オリンポスまでの道のりの中間地点辺りには、液化したメタンや水素、酸素の貯蔵施設もある。不足する場合ば、そこで補給することもできた。
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