22.ビークル発進

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 二台のビークルの出発を前に、搭乗者以外が駅から退去した。ビークルを外に出すために駅の隔壁を開けるからだ。ケイだけは、出発の情景を撮影するために、与圧服を着て駅の中に留まった。 「扉を開けた瞬間に、もの凄い勢いで空気が吐き出される。宇宙空間のエアロックと同じだ。何かにしっかりつかまっていろよ。これだけの空気の量だったら、下手すると百㍍は吹き飛ぶぞ」  最後に駅を出たジムが、エアロックを閉める直前に言い残した。ケイはヘルメットの中で大きく頷き、右手の親指を立てて見せた。 「ドアを開けてくれ」  キャメルのコクピットに座っているクリフォードの声がイヤホンから聞こえた。 「了解」。答えたのは的場だ。中央管制室から応答している。  五秒ほど経った。不意に金属のきしむ音がして、それぞれ高さ四㍍、幅八㍍ある二枚の扉が左右に開き始めた。扉の間から、火星の赤い大気がわずかに見えた瞬間、轟音がして、舞い上がった埃が、室内の空気と共に、猛烈な勢いで隔壁に殺到した。地球で体験したどんなハリケーンよりも強い風だった。ケイはエアロックの横にある支柱に必死でしがみついた。扉はゆっくりと時間をかけ、三十秒ほどで全開になった。そのころには、内部の空気はすべて吐き出され、風は嘘のように収まっていた。  東の地平線からは、ピンポン玉くらいの黄色い太陽が昇ってきていた。二台のビークルは、逆光のシルエットとなって、出発の時を待った。 「いくぜ、ケイ。カメラの準備はいいか。かっこよく撮ってくれよ」  先頭を走ることになるバギーのパイロット、ピカールがインカムで呼び掛けた。 「ああ、スタンバイ完了。いつでもいいよ」  ケイは三・五インチの液晶モニターを覗きながら答えた。今回は特に重要な取材なので、ヘルメットカメラではなく、画質に優れる手持ちカメラを使うことにした。既にカメラは回っている。  ピカールは返事をせずに、いきなりエンジンを始動した。空気が薄い上、ヘルメット越しなので、音自体に迫力はさほど感じないが、ビークル自体の小刻みな振動が地面から伝わってきた。 「ジェントルマン。スタート・ユア・エンジン」  威勢の良いクリフォードの声とともに、二台目のキャメルもエンジンをスタートした。クリフォードは、自動車が化石燃料のガソリンやメタノールで走っていたころのカーレースが大好きだ。このジョークは、カーレースのオールド・ファンになら通じるだろう。  バギーのコクピットで、ピカールが二本指で敬礼し、前を向いた。バギー車はゆっくりと前に進み始めた。人が歩くのと同じくらいの低速で、駅の外にでた瞬間、四つの車輪が地面の砂を派手にかき上げ、猛烈に加速した。車体は、あっという間に、巻き上げられたオレンジ色の砂塵の中に消えた。数十秒が経ち、埃が収まると、バギーは数百㍍離れた丘陵の上を疾走していた。 「さあ、次は俺たちの番だな」  クリフォードら三人が乗るキャメルは、同じくゆっくりと駅を出た後、遊園地のおもちゃの汽車のようなペースで少しずつ速度を上げ、のろのろとコロニーを離れていった。 「だから俺はバギーを操縦したかったんだよ。この場面はニュースで流れるんだろう。これじゃ格好悪すぎだぜ。このペースで二千五百㌔も走り続けるのは苦痛だな」  クリフォードの愚痴に、俺は思わず笑った。中央管制室も爆笑に包まれているに違いない。
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