23.警告音

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「彼は少し違うよ。ブラジルでは相当有名な企業を一代で築いた叩き上げなんだ。歳はまだ四十代前半だけど、高校にも行かず、十代後半から会社を経営してきた。四十になった年に、会社の株や経営権などの一切を他人に譲って、火星に十回くらい来られるほどの財産を手に入れた。今回の渡航費用は、ほんのポケットマネーかもしれない。ただ、ここに来るのは気まぐれではないようだよ。かなり詳細なビジネスプランを温めているらしい。うちの会社のトップもそれには強い興味を示している」 「ビジネスプラン。火星貿易でも始めるつもりかな」 「はっきりは分からないけど、自前で宇宙船を建造したいようだ」 「自前で。そりゃ壮大な夢だね」 「無理だと思うかい。クルゼイロは、そういうビッグマウスを現実にしてきたんだ、これまでずっと。彼にはそういう一徹なところがある。もしかすると、もしかするよ」 「モンローはともかく、クルゼイロみたいな人間と一緒だと、何かと面白い話が聞けるんじゃないか。地球に帰った後も、この分野のビジネスに携わっていくんだろう」 「ここに来るまでは、そのつもりだったさ」  ポールは言いかけて、言葉を切った。何かを思いつめたように唇を噛み、十秒か二十秒ほど黙った。 「ポール…」  俺は次にかける言葉を探したが、見つからなかった。 「ケイ、僕は怖いんだよ」  しばらくして、ポールは重い口を開いた。 「それは、仕事のことだけじゃないんだ。火星に到着するまでの半年間、真っ暗な宇宙空間を旅してきただろう? 出口のないトンネルの中を進むような、言いようのない気持ちの悪さだった。この星で何年か無事に生きられたとして、地球に戻るためにはまた、あの経験をしなくちゃならない。もし、モンローとクルゼイロの接待に失敗したら、帰路はもっと不愉快になるだろう。そんな、いろいろなことを考えたら…」  ポールは再び口をつぐんだ。 「無理しなくていい。話したくなったらでいいよ。思い詰める必要はない。少なくとも、地球からは八千万㌔は離れているんだ。失敗しても社長室に呼び出されることはないさ」  気持ちを和らげようと、ケイは冗談交じりに言ったが、ポールは表情をこわばらせ、頑なに口を閉じていた。
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