26.夜間走行

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26.夜間走行

 夜を切り裂いて走るラボ・カー周辺は、コールタールを塗りたくったような重苦しい闇に包まれていた。  ケイはこの時まで、これほど完璧な暗闇を経験したことがなかった。ビークルにはサーチライトのように強力なヘッドライトが四灯装備されているが、火星の夜を走るには、それでも照度が全く足りない。前照灯が切り取ることができる闇は、せいぜい前方数十㍍程度で、明るい所から急に真っ暗な場所に入って目が慣れていないような状態がいつまでも続いた。平衡感覚すら失ってしまいそうなくらい深い暗闇だった。  車速はリドストローム大通りを走っていた時の半分以下の時速三十㌔近くまでで落としていたが、ちょっと油断すると、すぐに目標の轍を見失う。火星版GPSがあるので、大まかな方角は分かるのだが、岩石などの障害物までは表示してくれない。結局、轍をトレースしながらノロノロと走るのが、最も安全な夜間走行対策と言えた。 「路面ばかりをじっと見ていると、目がおかしくならないかい」  夜間走行は単調さの中で、いかに集中力を維持できるかの勝負に見えた。ジェニファーは、車の前方とセンサー画面を交互に見遣り、ハンドルを小刻みに動かしている。集中してドライブしていたが、一時間ほどの夜間走行の間に、轍を三度見失い、十数分間をロスした。ヘッドライトの照らす範囲には、二本の轍だけでなく、時折、大きな岩石が急に姿を現すこともあり、一瞬たりとも気は抜けない。そんな中でも、彼女は集中力を切らさずに、しっかりとビークルを前進させていた。隣に座っているだけでも、のしかかってくる疲労感に押しつぶされそうになる。ケイは、ジェニファーの集中力とタフさに感嘆した。 「時々、話し掛けてね。じっと運転していると、眠っちゃいそう。音楽でも聴きたいくらいだわ」 「慌てていたから、音楽を持ってくるのを忘れたよ。ローリング・ストーンズなら、少しは眠気を吹き飛ばしてくれそうなんだが」 「ストーンズ? ケイはクラシックが好きなの?」 「二十世紀後半のがね」 「私もよ。エアロスミスがいいわ」
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