26.夜間走行

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 そこで、二人はコンピューターを呼び出し、音楽ネットワークにアクセスした。音楽を再生するくらいの電力には余裕がある。ジェニファーは迷わずエアロスミスの「ドロー・ザ・ライン」をかけた。 「まさに今、線を引いてるわよね」  ケイは笑った。  前方を凝視するのに疲れると、ケイは頭を上に向けてシールド越しに夜空を眺めた。ルーフの大半は強化ガラスで、見通しは良い。  大気が薄く、辺りが真っ暗なので、地球よりも遥かに多い星たちを望むことができた。暗闇の中にあっては、星たちの存在がとても心強く感じられた。中空には、月よりかなり小さな火星の衛星フォボスが亡霊のように弱い光を放っている。そのすぐ近くに、地球を見つけた。恒星のようにまたたかないので、容易に見分けることができた。ケイは地球と火星の八千万㌔という距離を思って、少なからぬ寂寥感を覚えた。ワシントンD・Cは今、真冬だ。街行く人たちは、防寒具に身を包み、背中を丸めて白い息を吐いているはずだ。 「それでも、ここよりはマシだ」とケイは思った。  ビークルの外は、氷点下七〇度。明け方までにはまだ下がる。ビークルのキャビンは、エンジンや燃料電池の廃熱のお陰で、寒さを感じないが、夜が更けるに従い、時折足元から冷気が忍び寄ってくる。それは単に温度が低いというだけでなかった。冷ややかな空気に接するたび、キャビンの外には生身の人間が一瞬たりとも生存できない過酷な空間が広がっていることを認識させられた。 「ジェニファー、少し休憩しないか。先はまだ長い」  午前三時を回っていた。ジェニファーは、コロニーを出発してから、一心不乱に三時間も操縦を続けていた。轍を外れるロスが何度かあり、この三時間で進めたのは地図上の直線距離にして七十数㌔に満たなかった。ランデブーまでの行程の三〇%にも満たない。 「そうね。さすがに疲れたわ」  ビークルを停車させたジェニファーは、右手の親指と人差し指で、両方の目頭を押さえた。
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