30.「カール」発進

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30.「カール」発進

 翌朝、大気に水分のほとんどない火星では当たり前の光景だが、空は晴れ渡っていた。目覚めた頃に、太陽はすでにかなり高い位置まで昇っていた。冗談抜きに、太陽は黄色に見えた。二人で簡易ハブをスーツケースに収納し、バギーで再び走り出した。キャビンの中ではまた窮屈な与圧服だ。  運転者はケイだった。昨日のジェニファーの褒め言葉にすっかり気を良くしていたのだ。バギーのハンドルを握って改めて気付いたのだが、このビークルはラボ・カーとは全く違った操縦が求められる。バギーは車高が高く、サスペンションのストロークが長い。どちらかと言えば、走るというより、飛ぶといった感じかもしれない。小さな岩や地表の溝などを飛び越えながら走るのだ。そのために必要なエンジンパワーも充分にある。乗り心地はかなり悪いが、ペースが乗ってくると、馬にまたがって疾走しているような爽快感が得られた。ラボ・カーよりは余裕を持って走ったつもりだったが、平均ペースは時速八十㌔を軽く上回り、九十七㌔の最高速もマークした。 「こっちの方が操縦が面白い。気分が楽になったせいかな」  まだ数時間しか経っていないのに、ケイはバギーの操縦を楽しく感じ始めていた。多分、このビークルが、他の二台と違って、「走る」という目的で作られた単純な乗り物だったからだろう。 「この車は、スピードがでるほど乗りやすくなるね」  助手席のジェニファーに話し掛けた。ジェニファーはのんびりと前方を眺めている。 「重力が少ないから、一つ一つのジャンプで結構な距離を跳んでいるのよ。小さな凸凹が関係なくなるから、操縦しやすくなるのだと思うわ。私も遠出する時は、このビークルを使うわ。シンプル・イズ・ベストね」  二人は取り留めもない会話を時折交わしながら、単調な火星の大地をひたすら走った。行く手の砂地には、先行するキャメルが残した黒い轍が地平線の彼方まで、うねうねと続いていた。地面自体は、見た目ほぼ平らに感じるが、実際にはゆるやかな下り勾配だ。前方センサーが〇・二%の傾斜率を表示していた。かつて海だったアマゾニス平原は、ゆっくりと深みに向かっていた。
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