31.予兆

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「それから、開発本部から連絡があって、エンタープライズ2が打ち上げに成功したそうだ。金星とのスイングバイに向けて加速中だ」 「了解」 「ところで、中国の『火星』だが、発電、化学ユニットを搭載していると思われる1号機の速度が、想定以上に速いことが分かった。もう火星まで三カ月余りの位置にいる」 「随分足が速いですね」 「人が乗っていないからな。恐らく、比推力に比べて積載重量を軽くして速度を上げたんだろう。あのサイズからいけば当然だが、月面を脱出する速度は火星便としては史上最速だった。まるで冥王星でも探索に行くような猛ダッシュだったらしい。全くとんでもない化け物を作ったもんだな」 「こちらも急ぎます」 「もう一つ、これは余りよくないニュースだ。気象監視衛星が星の反対側で、比較的規模の大きな砂嵐を発見した。もしかすると、惑星規模に発展するかもしれない。情報は逐次入れるが、充分気をつけてほしい」    地球の百分の一ほどしか大気圧のない火星で、なぜ惑星全体を覆うような規模の砂嵐が発生するのか、詳しいメカニズムはまだ解明されていない。砂嵐は小規模なものなら大して警戒の必要はないが、落雷を伴う強力なタイプや惑星全体を覆うような大嵐となると話は別だ。 「厄介なことになったわね」  キャビンの前方を眺めていたジェニファーが口を開いた。手元のコンピューターを操作して、監視衛星からデータをダウンロードしている。 「ジェニファーは惑星規模の砂嵐を経験したことがあるのかい」 「一度だけ。二年前に」 「どんな感じなんだい」 「地球のハリケーンや台風とは違った感じだったわ。とても静かなのよ。風自体に力がないせいもあるし、ハブの中でじっとしていたからかもしれない。風速は百五十㍍にも達するけど、物理的な圧力は弱いわ。だけど、底知れない恐ろしさを感じたわ。視界はなくなるし、無線も通じづらくなる。目と耳を全部ふさがれた感じがしたわ。どこもかしこも細かい砂に覆われてしまって、逃げ場が全くないのよ。太陽電池もほとんど役に立たなくなるわ」 「二年前は長く続いたのか」 「二カ月と四日」  ケイは絶句した。そんな長期間を過ごすだけの酸素や食料はない。ある意味、今回のミッションで最も恐れていたのが大規模な砂嵐だったのだ。 「かなりまずい状況じゃないか」 「もし発生すればね。まずいなんてもんじゃないわ。酸素は、二週間程度しかもたないから、終わるのを待っている訳にはいかない。砂嵐の中を進むしかないわ。残念なのは、それを誰もやったことがないということ。怖いのは砂嵐の前線で発生する落雷よ。直撃されたら、ビークルはひとたまりもないわ。落雷雲は移動性だから、せいぜい数日だけど、その間足止めを食らうのは間違いない。そして、最大の問題は、砂嵐の中をビークルが走ったことがないということ。細かい砂塵でエンジンが壊れたりしたら、一巻の終りね」 「祈るしかないな」
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