31.予兆

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 二台のビークルが再出発したのは、無線終了から、二十分後だった。バギーにはケイとジェニファーの二人が、キャメルにはピカールら四人がそのまま乗った。足の速いバギーが先行し、キャメルがその轍を追跡した。 「トレースする轍がないと、緊張の度合いが全然違うね」  ハンドルを握るケイが言った。隣の席でジェニファーが与圧服を着て、前方をじっと見ていた。昨日から、ケイが操縦して、ジェニファーがナビゲートする時間が多くなっている。火星の地形に詳しい彼女が横でアドバイスしてくれる方が、スムーズに走れる。 「このビークルを置いていくのは忍びないわね」  ジェニファーがポツリと言った。 「ああ」  ケイもさっきの無線以降、ずっと同じことを考えていた。 「このバギーで、随分あっちこっち回ったわ。ほとんど故障知らずで、過酷な使用にも耐えてくれたわ」 「何とか連れていってやりたいけど」 「あと数百㌔も走ったら、地形が段々と粗くなってくるわ。そうなると、今度はバギーが足手まといになる。普通の状態なら、何とかついて行けると思うけど、前が見えなくなるような砂嵐の中じゃ無理だわ。残念だけど」  アクセルペダルを通じてバギーのエンジンのかすかな振動を感じながら、ケイはこのビークルを生き物のように感じていた。マシンがなければ、自分たちはどこにも行けない。平均直径が地球の半分しかない小さな星だが、小さな人間が歩いて移動するには、余りにも広すぎる。火星の表面積は地球の全陸地より広大なのだ。  二台が走りだして間もなく、ジェニファーが前方上空を指差した。 「見て、カールよ」  ケイはブレーキをかけ、バギーを停車させた。赤茶けた火星の空に、カールが目もくらむような閃光を放ちながら一直線に落ちていく様子が目に飛び込んできた。大気圏に再突入したのだ。 「明るい。何だか心強いな」 「時間通りね」  カールはものの数秒で地平線の下に消えていった。あの先にオリンポスがある。カールが降下した後の空には、ドーナツをねじったような流星痕が残っていた。  コロニーから連絡が入ったのは、カールの火球目撃から、約四十分経ってからだった。全員が無線周波数をコロニー連絡用に合わせて、ブレ博士の声を待った。 「こちらマーズ・フロンティア・コントロール。カールの着陸成功。繰り返す、カールの着陸は成功した」 「よし!」  ケイとジェニファーはブレ博士の弾んだ声を耳にして、思わずガッツポーズをした。宇宙放射線事故の発生以来、砂嵐の発生も含めて、このミッションに関するいいニュースがほとんどなかっただけに、カールの着陸成功は、地上班に届いた最高の朗報だった。  バギーとキャメルの二台は、小高い丘陵地の麓をこの日のビバーク場所に選んだ。到着したのは午後七時過ぎ、一日の走行距離は二百九十七㌔もあったが、直線距離ではオリンポスに百㌔も近付いていなかった。今夜はそれぞれが車内で睡眠を取ることになった。砂嵐が迫りつつある今、エネルギーを余計に消費する簡易ハブを使う贅沢は許されなかった。  就寝までのひととき、それぞれの車内で食事を採ったりしながら、休息を取っていた午後九時過ぎ、カール班から直接連絡が入った。帰還船が無事、オリンポスに予定地に着陸したのだ。無線の声の主は、マディソンだった。 「コロニー・オリンポスから地上班へ一方的に送る。搭乗した四人は全員元気だ。コロニーの設備関係だが、エンタープライズが置いていった主要機器は全て順調に作動している。酸素、メタン、水の生成量は想定より若干多いくらいだ。あと一カ月もすると、十人が一カ月は暮らせる量になる。発電装置も問題ない。君たちが到着するまでに、原子炉起動の準備をしておくよ。砂嵐が来る前に、明日ハブを使える状態にする作業に取り掛かる。君たちの一日も早く到着を待っている。以上」  マディソンの声は弾んでいた。無事に到着して、興奮しているのだろう。気持ちは充分に分かる。
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