32.雷鳴

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 キャメルほど車高のないバギーにとって、最初の難題は、谷の底まで下りていくことだ。地溝は全長二㌔、幅二百㍍ほどで、大地の表面が何か大きな力で引き裂かれたような地形をしていた。底の部分には平らでビークルが走れそうな小道が見えた。谷の底まで続く崖は、縁から底までの深さが三十~五十㍍ほどもあり、ガリー地形と呼ばれる鋸の歯のような急峻な形状をしていた。大半がほぼ直角に切り立っているので、ビークルで垂直部分を真っ直ぐに下りることは無理だが、見渡す範囲内には、数カ所だけ比較的緩やかな斜面が見つけられた。傾斜はきついが、そこなら何とか下りられそうだ。二台のビークルは、そのうち、最も緩やかな東側の斜路から谷下りのアプローチを開始した。 「こんな急斜面を下りるのか」  崖の縁で一旦停車したケイは、思わずつぶやいた。これから下って行こうとしている斜路は、傾斜が二十度以上あった。まるでスキー場の急斜面のようだった。悪いことに、道幅は狭く、道路と思われる隙間には大小様々の岩が転がっていた。車高の高いキャメルなら大した問題にならないかもしれないが、ちょっとした溝や岩も、バギーにとっては大きな障害になる。 「お先にどうぞ。上から転げ落ちられたら堪らないからな。お手並み拝見といこう」  キャメルを操縦するバーグマンから無線が入った。ケイは返答をせずに、ブレーキペダルを踏む力を緩めた。バギーは足元の礫を踏みつけて上下に細かく揺れながら、ゆっくりと前進した。それはまるで、幼児が嫌々をするような挙動だった。しかし、ためらってはいられない。日暮れは近い。ケイは斜面に向かってハンドルを切った。  平坦な砂地を飛ぶように走り続けたバギーも、このわずかな区間では小さな岩や凸凹に苦しみながら、人が歩くよりも遅いスピードで恐る恐る斜面を下った。一歩間違えると、何十㍍下に転げ落ちる。ケイは、前方の路面状況に神経を集中しながら、これまでとはまるで別のビークルを操縦しているような心境で、慎重に底を目指した。 「なかなかの腕だな。この何日かで、随分鍛えられたんじゃないか。れっきとしたベテランだ」  後部座席のスチュワートが軽口を叩いた。ガチガチになっているケイの緊張を和らげようとしているのだ。しかし、今のケイには、そんな心遣いに応答している余裕すらなかった。わずか数㍉のハンドル操作が、バギーと乗っている四人の命運を左右する。この旅では、バギーを放棄することになったが、オリンポスでのコロニー建設が一段落したら、この場所から再び引っ張り出すことになる。無傷のままで格納しなければならない。
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