1.着陸

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「着陸の最終態勢に入った」  ヘルメット内のイヤホンに、ウイリアム機長の声が届いた。  激しい雑音の中で、やっと聞き取れる程度のボリュームだ。ほんの五、六分前、火星の標準地表面から百二十八㌔上空で大気圏に突入した着陸カプセルは、二酸化炭素を主成分とした大気と激しく摩擦し、耳をつんざく轟音に包まれた。この星の脆弱な大気は、密度こそ地球の百分の一程度しかないが、秒速五㌔を超す猛烈なスピードで突入したカプセルには、巨大な抵抗力となって立ちはだかった。先端部の耐熱シールドは、最高で千四百度の高温となり、カプセル全体が白熱した火の玉に包まれた。コクピット内部の小さな三角窓からは、摩擦熱が発する白色光以外何も見えない。細かな振動がシートから絶え間なく伝わり、頬の肉を小刻みに震えさせた。四点式のシートベルトで、がっちりと座席に縛り付けられているため、圧迫感がより高まる。のどがやたらと渇き、息苦しい。ヘルメットの透明シールドの中で反響する自分の呼吸音が、ことさらはっきりと聞こえる気がした。 「速度秒速五百㍍。パラシュート開傘まで三十秒」  ウイリアム機長の声は、空電音で途切れがちに聞こえてきた。神経を集中しているから、わずかな声も聞き漏らさない。ウイリアム機長は、この着陸カプセルには乗っていない。母船の「マーズ・エンタープライズ1」で、百数十㌔上の低周回軌道上から指揮を取っている。カプセルに乗る四人を火星表面に降ろした後、地表からの離昇機で四人を受け取り、地球への帰途に就くのだ。カプセルは自動プログラムで運航されているが、最終手順のパラシュートだけは、手動で開かなければならない。 ふいに周囲の轟音が去った。 「開傘まで十秒、逆噴射装置スタンバイ」。長かった旅ももうすぐ終わる。到着したら、すぐにレポートの準備を始めなければならない。そう考えて、少しだけ圧迫感と緊張が収まった。
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