32.雷鳴

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 その雷鳴は突然聞こえてきた。木の皮を剥ぎ取るような乾いた音だった。大きな音量ではなかったが、火星で初めて耳にする種類の音だったので、ケイは慌てて音のする方角をみた。東の地平線すれすれに、地球で言えば積乱雲のような煉瓦色の雲が次から次と湧き出してくるのが見えた。生き物のようにうねりながら、ビル火災の煙のように、嵩を増している。 「前触れの雷雲か」  正確に言うと、地球で見られる水蒸気を中心とした雲ではない。上空と地表の温度と気圧の差が、猛烈な上昇気流を発生させ、地表の一㍉以下の細かい砂塵を巻き上げたものだ。一種の竜巻とも言える。赤茶けた砂が作り出す雲霞は、見るものを不安にさせるような暗い色をしていて、中では盛んに稲光が輝いていた。  ケイはカメラのレンズを目一杯望遠にして、雷雲を撮った。ファインダー越しでも、その迫力は圧倒的だった。空を覆い尽くすような勢いで膨張していく雲の動きは、のた打ち回る竜が天に昇っていくかのようだった。その竜は強力な稲妻の舌をちらちらさせながら、猛烈なスピードでこちらに向かってくるように見えた。希薄な火星の大気のどこにこんな力が潜んでいるのか。この映像は、地球の人たちに衝撃を与えるだろう。ケイはカメラを回しながら、「デイブ、腰を抜かすなよ」とつぶやいた。  ケイはひと通りの撮影を終え、急いで崖を走り下り、ハブに戻った。中で全員に撮影したばかりの雷雲の映像を見せた。五人はカメラの液晶画面を食い入るように見つめ、ため息をついた。 「想像以上の迫力だな」  しばらく無言だった六人の沈黙を破ったのは、ピカールだった。ケイ以外の五人は、大砂嵐や雷雲の恐ろしさを経験している。ジェニファーの話だと、二年前は落雷がコロニーの発電施設に大打撃を与え、完全復旧に半年以上かかったらしい。ビークル二台は洞窟の中にあるので、雷の直撃に遭う心配はないが、ピカールらは二年前の恐怖を思い出し、これからの籠城に不安を感じているようだった。 「稲妻が走ったあとには、オゾンのような有害物質が発生する。ハブの空気フィルターのチェックは頻繁にするようにしよう。地平線上に見えてきたということは、あと数時間でやって来る。避雷針と無線、衛星アンテナの最終チェックも済ませよう」  ピカールが言い終わると同時に、バーグマンとマクグレイスが与圧服を着始めた。キャメル班の機械のメンテナンスは、バーグマンが主任で、マクグレイスが助手を務めていた。
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