33.赤い嵐

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33.赤い嵐

 ケイがハブに戻ってから、ちょうど二時間後に、雷雲の先端が「コバヤシ谷」を襲った。その瞬間は、洞窟の中の簡易ハブにいてもすぐに分かった。落雷が谷の壁面を直撃したのだ。その瞬間、洞窟の入口は真っ白な光に包まれ、すさまじい轟音と共に空気が激しく震えた。 「近いわね。あんなのをまともに食らったら、キャメルはひとたまりもないでしょうね」  ジェニファーが小さな声で言った。  最初の一撃を機に、休む間のない雷鳴の一斉攻撃が始まった。断続的に稲妻が光り、ある時は瞬時に、ある時は数秒遅れて、大音響の雷鳴がハブを小刻みに揺らした。そのうち、何発かは避雷針を直撃した。こんなに激しい雷を経験したことはなかった。それはまるで、紛争地帯の取材で訪れた中央アジアの国で体験した戦闘機による爆撃にそっくりだった。地響きと共に襲い掛かる大音響は、不安と恐怖を増幅させる。洞窟の中は無事だと分かっていても、体の奥底から湧き上がってくる畏怖を抑え込むことはできない。これは理屈ではない。人間という生物が根源的に感じる種類の恐怖だ。ハブの中にいる全員が、無言のまま、じっと固まっていた。 「これだけ頻繁に落雷していたら、避雷針自体が融けてしまうかもしれない」  しばらくしてから、やっとピカールがつぶやいた。この言葉のお陰で、残る五人は、金縛りが解けたように、重い口を開いた。 「避雷針が融けてしまったら、どうなるんだ」  ケイの疑問に答えたのは、ペーター・バーグマンだった。 「避雷針が守っているのは、無線とGPSのアンテナさ。これがやられると、どういう事態になるのか分かるよな?」 「予備はあるのかい」 「アンテナ自体よりも、受信装置へのサージが怖い。アンテナは何とかなるが、受信装置がやられたら、一巻の終わりだ」 「それじゃ…」 「アンテナは引っ込めた方が良さそうだな。無線とGPSはしばらく使えなくなるが…。どっちにしても、この雷じゃ役に立たないだろう」 「その通りね」  コンピューターの画面を覗いていたジェニファーが言った。 「GPSは全然駄目。現在位置も表示しなくなったわ。データ通信も全く反応なし」 「無線も機能していないようだぞ」  無線装置のチャンネルをいじっていたスチュワート・マクグレイスが言った。腕を組んで、じっと会話を聞いていたピカールが口を開いた。 「仕方ない。アンテナを撤収しよう。役に立っていないのに、わざわざリスクを冒す必要はない」 洞窟の外は砂塵が激しく渦巻いていた。太陽光の大半を砂嵐が遮っているので、ハブの中も一層薄暗く、陰気になった。LEDランプが灯っているので、暗闇ではないものの、小さな窓から見える外の光景を見ているうちに、ケイは言いようのない息苦しさを感じ始めた。地球の雷なら、せいぜい一、二時間もすれば通り過ぎるだろう。しかし、この火星の雷鳴は何時間経っても止むことはなかった。六人はハブの中でゴロ寝しながら、じっと雷雲が通り過ぎるのを待つしかなかった。雷の一斉攻撃者は夜になっても絶えることなく続いた。 「二年前もこんな感じだったのかい」 隣で横になっているジェニファーに訊いた。いつもは威勢の良い彼女もさっきから何も喋らずにじっとしている。 「コロニーのハブいたので、音量はこれより少しは低かったように思うけど」 「この音と振動はたまらないな。いつまで続くんだろう」 「じっとしているしかないのは、辛いものね。でも、今はあれこれ考えても無駄よ。通り過ぎるのを祈って待つだけよ」
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