33.赤い嵐

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 キャメルは赤く深い霧をかき分け、三日前に下りてきた「コバヤシ谷」の縁の細い通路をゆっくりと登っていった。条件は悪かったが、それでもバギーよりは安定した動きだった。 「さすがですね。動きがバギーとは全然違う」  ケイは思わず声にした。 「もともと、こういう荒れた場所を探索するために造ったビークルだからな。だが、今回のように、たくさんの荷物と人を積んで、長い距離を走るマシンじゃない」  バーグマンは大柄な体格に似合わず、繊細なハンドリングで巧みにキャメルを操ってみせた。実際にはかなり難しい操縦なのだろうが、広い駐車場の車庫入れくらいに容易な作業に見えた。そのくらいスムーズな操車だった。バーグマンがビークルの扱いに長けていることが、この短い時間ではっきりと分かった。  キャメルは「コバヤシ谷」を脱して平野部に出た。谷に入る前には、地平線まではっきり見渡せたのに、今の視程はたぶん百㍍もないだろう。周囲を見渡すと、あちこちで砂や塵が強い風で巻き上がり、竜巻のような渦を発生させていた。霧の濃淡は次々と変化し、まるで生き物のようだった。  地表では、細かな砂が猛烈なスピードで流れ、複雑な幾何学模様を描き出している。火星の表情は、嵐で一変した。地獄というのはこのような風景をいうのではないか。 「エンジンの吸気フィルターは大丈夫か」  歩くようなスピードで少し走ったところで、ピカールがバーグマンに訊いた。 「ミクロン・サイズに変更済みです。エンジンを起動しますか」  ピカールは少し考えたあとに、口を開いた。 「こんなペースで走っていたら、オリンポスに着く前に水素と酸素がなくなって、全員窒息死だ。ここでエンジンを回してダメになるなら、いずれ動かなくなる。一か八かだが、ハイブリッドで走ってみよう。一㌔でも前に進みたい」 「了解。エンジンを始動します」 バーグマンがセルモーターを回すと、キャメル自体が小刻みに身震いして、エンジンが息を吹き返した。 「回転数に注意しろよ。調子が悪くなる気配がしたら、すぐにエンジンを止めろ。完全に壊してしまったら、次のエンタープライズが来るまで修理はきかないからな」  エンジンと電気モーターを併用すると、速度はそれまでの時速十㌔前後から、三十㌔近くに上がった。やっと車で走っているという気持ちがするスピードになった。バーグマンは、視界の利かない前方と、センサーやGPSのモニターを交互に見やって慎重にハンドルを操作している。
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