34.選択のとき

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「三十㌔は無理かもしれないが、近くで下ろしてもらって、そこから歩くんだよ。実は、『コバヤシ谷』のことを思い出したんだ。バギーで下りるのに一時間掛かっただろう。けど、嵐の直前に自分の足で上まで登った時は十分も掛からなかった。下りはもっと早かったよ。そこに行けさえすれば、人間の方が小回りが利いて、意外と動きやすい。問題は渓谷に辿り着けるかどうかだけど、今はまだ日が高い。夜までには何とかなるんじゃないか。運動不足だったし、丁度いい運動になるよ」 「ビークルからは五百㌔もの荷物を下ろすんだぞ。それを引きずって、この嵐の中を歩くのか。下は細かな砂でぬかるみの中のようだぞ。ケイ、気持ちは分かるが、それは無茶だよ」  ピカールが言った。他のメンバーも同様の表情をしている。しかし、ジェニファーだけは何やら考え込んでいる様子だ。 「でも、ビークルで送ってもらう訳にはいかないだろう? だとしたら、遮るもののない吹きさらしの中でハブを張るか、僕らが歩いて行くか、二つに一つしかないじゃないか」  言うまでもなく、ケイはこのメンバーの中では、火星での経験、知識が最も浅い。しかし、この時ばかりは、自分の考えを主張した。そうしなければならないと感じていた。 「今はまだ午前九時だ。二時間後に出発したとして、時速三㌔で歩いたら、日没までに二十㌔以上歩けるんだよ。」 「しかし…。夜までに辿り着けなかったら、この辺りよりももっと条件が悪い場所でキャンプしなくちゃならなくなるかもしれない。このままキャメルで進んで、今日のうちに適した場所を探すのが安全策と言えないか」 「それはそうだけど、僕らがキャメルから早く下りたら、その分余計に前に進める。助かる確率も上がるんじゃないか」  ケイとピカールの議論は続いた。他のメンバーはそれをじっと聞いていた。 「無理だとは言い切れないわ」  ジェニファーがおもむろに口を開いたのは、ケイとピカールが言い合いに疲れて、しばしの沈黙を決め込んだ時だった。 「砂嵐はビークルの走行にとっては障害が大きいけど、視界は百㍍以上あるし、歩くだけならほとんど問題ないレベルよ。荷物は確かにたくさんあるけど、ここは火星よ。地球だとしたら、せいぜい二百㌔弱の重さよ。四人で力を合わせれば運べないことはない。空のメタンタンクを橇にして、みんなで引いていけばいいんだわ」 「確かに可能性はある。それは分かっているよ。ただ、技術者としてひとこと言わせてもらうと、この気違いじみた砂嵐の中、燃料電池や生命維持装置のような精密機械を、防塵容器に入れないままで持ち歩くのは無謀だ。小さな砂粒たった一つで、機械は機能しなくなるんだぞ」  ピカールは冷静な口調で諭すように言った。が、ジェニファーはひるまなかった。 「さっきピカール自身が言ったじゃない。現時点で最も重要なのは、ペーターとスチュワートの二人を無事にオリンポスに届けることでしょう。だとしたら、私たちは一刻も早くキャメルを降りるべきだわ」  四人の運命はジェニファーのこの一言で決まった。決行は今から二時間後、渓谷の真北二十三㌔の地点で、四人はキャメルを降りることになった。
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