42.限界

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42.限界

 最初の地上班がマーズ・フロンティアを出発してから三十八日目の朝がやって来た。当初は長くても三週間程度の旅を想定していたので、二週間近く予定をオーバーしたことになる。  ケイたちがここまで何とか生き延びられたのは、当初の予定になかった宇宙放射線事故で、メタンや水素を補給してあったからだ。その追加分がなければ、四人は一週間以上前に命を落としている。しかし、その補給分も残りはほんのわずかだった。呼吸用の酸素ボンベには、あと半日分の残量しかなかった。それより早く、水素や水はあと数時間で底を尽く。水素が切れて燃料電池が止まったら、ハブの中の温度は急激に低下する。外は昼間でも氷点下の気温だ。  水分摂取を控えていた四人は、喉の渇きで朝早くに目覚めた。誰もがほとんど口をきかなかった。それぞれが、携帯用のコンピューターを開いて、残り少ないバッテリーに気遣いながら黙々と作業をしている。ケイは最初、他のメンバーが何をしているか分からなかった。それに気付いたのは昼近くなってからだった。みんなは遺言を書いていたのだ。  昼過ぎには、全員がコンピューターを片付け、それぞれ無言で横になっていた。酸素マスクを介した低い呼吸音だけが、四人の命がまだ残っていることをかろうじて示していた。  ケイは時々、与圧服の手首の辺りについているディスプレーで携帯酸素ボンベの残量を確認した。すでに「0」に近いレッドゾーンに入っていた。生命維持装置からの補給はもうできない。携帯ボンベの酸素が尽きた時、ケイの命は終わる。ジェニファーは隣でじっと手を握っていた。 「こんな時に、話すべき適当な言葉はなかなか見つからないものだな」  ピカールがやっとの様子で口を開いた。三人はそれを聞き、少しだけ口元を緩めた。 「ペーターとスチュワートはオリンポスに着けただろうか。まだ道の途中で迷っているなら、死んでも死に切れない」 「大丈夫だよ、ピカール。それは間違いない。奴らの能力は充分に分かっているじゃないか。たとえ僕らが着けなくても、オリンポスはきちんと建設される。ジェニー・クリフのリン鉱石もいずれ地球に届く」  キムが笑いながら言った。 「そうだな、我々がここに来たから、リン鉱床を見つけられたんだ。そのことだけでも、命を張った意義はある。歴史に名を残せるさ」  三人は力なく微笑んだ。やがて水素ボンベは空になり、燃料電池は停止した。ハブの中の気温はどんどん下がっており、もう摂氏数度しかない。穏やかだが確実に、死は四人に迫りつつあった。
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