43.コロニー・オリンポス

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 オリンポスまでの道程は、これまでケイら四人が通ってきた砂漠地帯と比べると、遙かに急峻で悪路続きだった。ジェニー・クリフから東へと進み、一日半ほどでアマゾニス平原を抜けると、行く手には大陸棚の跡と思われる段丘が連続していた。相変わらず嵐は吹き荒れていたが、わずかな視界でも地形の変化は分かった。  この段丘をほぼ登り切った頃、進路の東南方向に、オリンポスの入口、ゴーディ丘陵が一行の行く手を阻んだ。オリンポスの火山活動で生じた全長数百㌔に及ぶ褶曲地形で、見渡す限りの地平線いっぱいを、その丘陵が独占していた。実は、丘陵の反対側には、オリンポス山も見え始めていたのだが、山麓の直径が五百五十㌔もあり、最大斜度が数度しかないという山の特徴から、この地点では地平線まで続くなだらかな登り坂くらいにしか見えなかった。いや、たとえ知っていても、赤い嵐に阻まれ遠くを望むのは無理な状況だった。  ゴーディ丘陵を避けるように、進路を若干北東側に移すと、断層や溶岩流の痕跡と思われる火山性の渓谷が目立ってきた。さらに百㌔ほど北進した一帯には、オリンポス山を取り巻くように広がっているライカス地溝帯が深さ数㌔に及ぶ大きな口をあけていた。オリンポスの山麓に西側から進入するには、北緯十二度周辺に広がった丘陵と渓谷の間を通っていくしかない。 「それにしても、スチュワートは、こんな場所をたった四日半で駆け抜けたのか…」  今、ケイたちが乗っているタンクは、スチュワートが開拓したルートを記録したGPSのナビゲートで進んでいる。だから、崖や渓谷などの障害物に右往左往することなく、二日と少しで、オリンポス山麓に辿り着くことができた。スチュワートは、激しい砂嵐で視界をふさがれた中で、ビークルが走れるルートを短時間で探しだしたのだ。後にスチュワートは、その離れ業のからくりを教えてくれた。 「この星の中で、オリンポスとマリネリス渓谷の周辺ほど、衛星写真がたくさんある地域はない。こんな事態を想定していた訳ではなかったけど、俺のコンピューターの中には、半世紀近く前のマーズ・エクスプレスやマーズ・リコネサンス・オービターの時代からの衛星画像がびっしり入っていたんだよ。もう半世紀前の画像だけど、なかなか精細な代物だよ。だから、確かに目の前の視界は利かなかったが、ルート図は頭の中に出来上がっていたよ」
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