5.スイート・ホーム・マーズ

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 ケイが左手の壁面に飛び出たスイッチを押すと、壁の一部が倒れ、ベッド兼ソファーになった。全長は二メートルあるかないか。ベッドとしてはやや小ぶり、子供用の大きさだ。体を曲げなければ足がはみ出てしまう。  ベッドにも火星ならではの特徴がある。地球のようなマットレスは、火星まで運ぶのにスペースが嵩む上、使っているうちに、電子機器の大敵である埃を発生させてしまう。なので、ここでは火星産のポリエチレンを使ったウオーターベッドを採用している。  水はこの星に住む者にとって、ことさら重要だ。飲用水、酸素、エネルギーを得るためだけではない。人間というか弱い生物にダメージを与える宇宙放射線は水素原子との衝突で減衰するので、防御対策としても有効だからだ。居住棟の外壁は、チタンや強化ステンレス鋼で造られた三層構造となっており、その中空部分には火星到着後、水を主成分とした不凍液が注入してある。ハブ外壁の上にも、土とウオーターマットをサンドイッチにした何重もの「防護壁」がある。  火星では地球のように水が簡単に手に入らない。サバイバルの意味においても、水を貯めておくことには意味がある。万一、水や水素が不足する事態になったら、ベッドの水を非常用の水源として使う算段だ。コロニーに二十以上あるハブ部分だけで備蓄している水の量は、合わせて五百トンを超える。核融合炉が停まり、全ての発電システムがダウンしても、この備蓄水だけで一カ月以上の酸素、水素とエネルギーをしぼりだせる計算だ。
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