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ケイは、火星に来て初めてカルガリーのことを想った。雪と氷に包まれた冬のカルガリーだ。凍った池の上でアイスホッケーをした子供時代の記憶が脳裏をよぎり、胸の奥が締め付けられるような気がした。
「ところで、火星はいかがですか?」
ディアナは話題を変えた。カウンセラーらしく、質問攻めだ。
「予想以上に興味深い場所ですね。来る前には想像もしていなかったようなことが、次々起こって、まだ一週間ほどですが、とても刺激的な毎日ですよ」
「どんな火星コロニーを想像していらっしゃったの?」
「一口には言いづらいですが、堅苦しく、息が詰まるような、もっと禁欲的な場所かと…」
「禁欲的!」
ディアナは快活に笑った。
「我々は、好きで火星に来て、好きでここに留まっているのだよ」
ディアナの隣で話に耳を傾けていたマディソン副司令が割って入った。
「確かに生活には不便も多いが、便利なように見える地球だって、実は不便だらけじゃないか。ここでは、道路の渋滞やレストランの行列でイライラすることはないし、飛行機の欠航で慌ててホテルの予約を変更する必要もない。何といっても、火星という未知の惑星を、興味の赴くままに探検できるんだ。こんなに自由で有意義な生活が送れることを、決して禁欲的とは言えないと思わないか?」
マディソン副司令は、アメリカ空軍を少佐で中途退役して、NASAの惑星探査部門に転身した。アポロ時代にはよく見られたコースだが、最近では珍しいパターンだ。頭はクルーカットに短く刈り込み、いかにも軍人上がりの風貌だった。背筋をぴんと伸ばした威厳に満ちた態度からは、人の上に立つ人間という雰囲気が常に漂っている。「固い意志を持ち、統率力と決断力に優れている」と地球で読んだ紹介文には書かれてあった。
「マディソン副司令も希望して火星に来られたのですか」
「もちろんだよ。だが、どちらかと言えば、ディアナが望んだと言った方が正しいかな」
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