第六章

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**** 「直人?」 日が沈みだしたからか、部屋の中は薄暗くなっていた。そんな中、明かりもつけずに部屋の真ん中で立ちつくしている直人。その右手には携帯電話が握られていた。携帯電話から少しだけ声が漏れている。女性の声だ。なにか叫んでいるようにも聞こえた。 一体誰と電話を? 吉沢は買い物袋をその場に置いて、ゆっくりと直人に近づいていく。その間何度か声をかけたが、直人からの反応はなかった。 すると急に、部屋がしんと静まりかえった。直人が通話を切ったらしい。 直人の手から携帯電話が滑りおちる。携帯電話はごと、と鈍い音をたてて床に転がった。 「はぁ……、はっ」 嗚咽の混じった荒い呼吸。直人の背中が震えている。 普通じゃないその様子に、吉沢は物怖じしてしまった。しかし、なにもしないわけにはいかない。 直人に手を伸ばした、そのとき。 直人が大きな声をあげた。それは耳を劈くような、悲鳴にも似た泣き声。 吉沢がなにが起こったのか急なことに理解できないでいると、直人は次の行動に出た。 先ほど隠していたカッターナイフを手に取って、それを自身の首にあてがう。 「直人!」 これには素早く体が反応し、カッターナイフを持つ直人の腕を強く掴みかかった。それでも直人はやめようとしない。吉沢の力に抵抗するように、刃を喉に押さえつけていく。 ぷつ、と嫌な感触。 「や、やめろ!」 一瞬にして友人の死を身近に感じた。このままだと本当に死ぬ、と。 それだけは阻止しなくてはならない。力を振りしぼって、直人からカッターナイフを取りあげた。それを部屋の端へ投げすてる。 痛い。見ると手のひらに切り傷があった。血が出ていて生温かい。いや、今はそんなことどうでもいい。慌てて直人に目を向ける。 カッターナイフを奪われた直人は、息をきらして項垂れるように座りこんでいる。よく見ると首元が切れている。傷は浅いのか、さほど出血はしていなかった。 なんとか最悪の事態は免れた。吉沢は安堵のため息を漏らす。 「……て」 直人がなにか話している。うまく聞きとることができなかった。 吉沢は直人と視線の高さを合わせるため、その場にしゃがみこんで顔を覗きこむ。直人は大粒の涙を流していた。 この短時間でなにがあったというのか、想像もつかない。 「死なせて」 今にも消えてしまいそうな声でそんなことを言う直人に、吉沢はショックを受ける。 聞きたくなかった。こいつから、そんなこと……! 吉沢は自分の服の裾をきつく握りしめる。握った部分に血が付着し、赤く染まった。 「死にたい! 死にたい、死なせてくれ!」 「な、なお……」 「もう無理です、ごめんなさい……無理です、無理……」 土下座をするようにな体勢で、「死にたい」と繰りかえす。 気がつけば、吉沢の目からも涙がこぼれおちていた。なんでそんなことを言うのかわからなかった。どうしてあげたらいいのかも。 ただ、これだけははっきり言える。 「死んだらあかんよ……、絶対」 「……」 「なにがあったかはわからんけど、絶対に死んだらあかん」 吉沢の言葉を聞いて、直人は顔を上げる。 状況も理解できていない吉沢を巻きこんでしまった。こんな醜い自分を見せてしまった。 だって、しかたないだろ……? 「死んだんだ」 「え……?」 「死んじゃった」 声に出して、改めて思いしった。由依からの電話。 啓太が死んだ。 泊まっていたビジネスホテルの一室で、首を吊っていたと。 泣きじゃくっていた由依が、一生懸命伝えてくれた。嘘じゃないことくらい、由依の声を聞けばわかる。
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