蛍火

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 夕暮れになると庭に蛍が飛び交うのは、すぐ裏手に小川が流れているからだ。  帯刀が借りた竹井村の百姓家は、坂町と茶屋町の間くらいにあり、於菟二の住む仲宿から歩いても四半刻ほどでゆける。名賀浦奉行の内与力が使う荘(別宅)にしては大分粗末だが、竹林と小川の他は何もないこのあばら家を帯刀は気に入っているようだ。そして於菟二は、このところ自分のねぐらへ帰らず、荘に入り浸っている。  庭から響く虫の音が、さざ波のように静かな夜を満たしている。 「違うな」  帯刀がぼそりと云って煙を吐く。 「なにが違うんです?」  於菟二は瞬く小さな光から眼を移し、帯刀を見た。於菟二好みの涼しげな貌が、蚊帳ごしの淡い月影に濡れている。眼は鋭いが、どこかおっとりとして人好きのする面立ちだ。物腰は上級武士らしく泰然としており、性格も朴訥として浮ついたところがない。あっちの相性もすこぶる良くて、イロ(情夫)としてこの上ない男であるも、於菟二にとって帯刀はそういうものではない。 「蛍さ」  帯刀が、立ち上る煙のゆくえを見つめる。 「蛍?」 「そこの朝顔と同じ。日ごと散り、日ごと新しく咲く。同じ花に見えて違う花なのだ。蛍も同じよ。明日にはいない……」  帯刀が煙草盆の灰落しに、火皿の灰をぽんと落とす。濡れ縁に置かれた朝顔の鉢は、於菟二が買ってきたものだ。 「なんでそんな淋しいことを云うんだい。まるで明日には死んじまうみたいな話、おいらは好かないね」     
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