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エピローグ
空にはうろこ雲が綺麗な模様を見せていて、うだるような暑さは入道雲と一緒に何処かへ行ってしまったらしい。
あれからしばらく経った週末。
勉強の息抜きがてら、道場で近所の子供達の相手をしているところに日野さんが顔を出した。
「朝霧君」
「どしたの?」
「今日は洋子さん、出掛けてるの?」
「あー、婆ちゃんは鈴音とまた浅草だよ。明日香さんに続けてもらってた治療がそろそろ終わるみたいでさ」
「……なるほど」
鈴音は明日香さんに懐いているのもあるけれど、半分は甘味目当てと言っても過言ではないと思う。
明日香さんによる継続的な霊気循環系の再調律治療により、婆ちゃんの若返り騒動もようやく収束を迎えようとしている。
元々外見が四十代でも通じてしまう五十代の人だったので元に戻っても若作りではあるのだけれど、それでも一時の二十歳前後まで若返った状態では地元での人間関係が維持困難になるだろうし本人も元に戻れて安堵しているようである。
サクラに言わせればあの状態が続くことは寿命を直接削るのと同じらしいし、地元へ戻って来てからあのサクラが珍しく婆ちゃんに延々と小言を言うほどだったので実際割と深刻な状態であったようである。
そんな様子を臆面にも出さなかった婆ちゃんも流石と言うか何と言うか。
「アイツ曰く『ご主人くらいの霊力であったならとっくに干からびて干物になっておったであるな、フハハ』……って話らしいよ」
「干物」
あまり想像したくない姿である。
「あ、婆ちゃんから聞いたんだけどさ。依子さん、短編だったデビュー作の長編リメイク正式にやるって決めたらしいよ」
「それって『逢魔が時の境界』?」
「うん。でも、短編集の時とは全然別の結末にするつもりみたい」
「それってつまり、ハッピーエンドにするって事?」
「うーん……」
友達が怪異に呑まれてから様々な怪現象と遭遇する事になって行く少女の物語は、かつては救いのない顛末を迎えるものだった。
それが当時の文芸の流行とも噛み合ったからこそ依子さんが作家になったのは間違いないのだろうけれど、デビューしてから今回の一件までを通して自身の心境にも大きく変化があったのだろうとは思う。
依子さんがこれから書く物語がハッピーエンドかどうかはまだわからないけれど。
運命に翻弄され、罪の意識を背負い、恐怖とともに物語の幕を閉じるはずだった少女は、きっと別の場所へ辿り着ができるようになるんじゃないかと思う。
「来年になるだろうけど、楽しみにしておこうよ」
「……うん、そうだね」
そんな話をしていると、日野さんのスマホから短い音が鳴る。
SNSの通知音のようである。
「レイカさんだ」
そしてメッセージを開いた日野さんが、
「――ん゛っ……!」
思わず変な声で呻いた。
画面には、これまでレイカさんが調達した中でもとびきりのフリフリ衣裳を着せられて頬を引き攣らせているサクラが写っていたのである。
「朝霧君、道場の稽古は?」
「え……ああ、さっき終わったけど……」
「アイレン、行くよ」
「え」
「ほら、はやくはやく」
……あー、これはまた変なスイッチ入ったな。
「あのー……一応聞きますけど、これから勉強するんじゃ……」
「それは帰ってきてからその分しっかりやります」
「……僕、袴のままなんだけど……」
「シャッターチャンスは待ってくれないんだよ、朝霧君」
「……そうですか……そうですね」
テンション高めの日野さんに引き摺られながら見上げた空を、鳥が一羽横切って行った。
鵜野森町あやかし奇譚 第五篇 野晒し 了
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