三章  欠けたもの

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 (10) 「紙縒先生が親戚ってどうして今まで教えてくれなかったんですかもぉぉぉ……!」 「いや……まあ、僕らもつい最近知った事で」  ――結局。  市ノ瀬さんによる凪野紙縒作品の解説を延々展開されたあと、初期の短編集を一冊購入することになった。  今は予備校の前の喫茶店で雑談中なのだけれど……。  僕が凪野紙縒作品を読もうとしていたことに喰い付いた市ノ瀬さんがあまりにぐいぐい来るので、凪野紙縒こと夕凪依子さんとその娘の明日香さんなど、今回関わる事になった浅草の件について掻い摘んで説明をする事になったのである。 「今度サイン貰ってきて下さいよ朝霧さん……!」  熱心なファンも居たものである。 「ま……まあ、お願いはしてみるよ」  鼻息荒い市ノ瀬さんを宥めつつ紅茶を啜る。 「ああー……私も受験の日程が朝霧さん達と同じ時期なら無理矢理にでも浅草にくっついていくんですけれど」 「あれ? 市ノ瀬さん日程違うって事?」 「あ、私推薦入試なんで早いんです」 「あー……」  そうか。  成績優秀者にはそう言う選択肢もあるんだったな。 「いいですか! 怪異小説の書き手として今国内でも有数の実力派の先生と本物の怪異事件の真相を追うなんて貴重な体験なんですから、後で事細かに聞かせてくださいよ?」 「は……はい」 「絶対ですよ」  念を押すように真顔で凄まれてしまった。  その後予備校へ行くとの事で店の前で別れる時も、市ノ瀬さんは一人テンションが高い状態のまま『その短編集を読み終えたら次は何を読むべきか』みたいな独り言を時折含み笑いを漏らしつつ呟いていた。 「でも、紙縒先生の書く怪異小説が持つ異様なリアリティの理由が少しわかった気がしますよ」 「リアリティの……理由?」 「何せ実体験を基盤にしてるって事なんですから」  確かに知らない事より知っている事の方が克明に書くための材料はあるわけで、そう言われれば納得できる話ではある。 「……」 「朝霧君?」  日野さんが僕の顔を覗き込んでくる。 「ああ、いや、何でも。とりあえず、帰って少し読んでみよう」 「今日の分の勉強が先です」 「……仰る通りです」  日野さんにクギを刺され、僕は舌を巻いて買った本を鞄にしまい込んだ。
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