四章  昔語り

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(10) 「カナイ……ソウタ……」  ソウタ君は、僕の告げた名前を小さな声で一度だけ繰り返した。  今から三十一年前の秋。  例年に無い記録的な長雨と台風によって増水した河川敷付近での目撃談を最後に、行方不明となった男の子が居た。  男の子の名前は香内蒼汰。  警察や消防に加え地元の住民達も含め相当数の人間が彼の消息を追ったものの、捜索は実らなかった。  男の子の亡骸が発見されたのは約一週間後、増水した河川の水位が下がってからの事であったらしい。  今目の前で鈴音が手を掴んでいるこの子がまぎれもなくその当人であるかどうかは、確たる物証があるわけでもない。  けれどこの場所で命を落とした同姓同名の人間となれば、状況証拠とは言え有力な判断材料になる。  そして大方の予想通りソウタ君はしばらく俯いていた顔を僕の方へ向け、静かに一度だけ頷いた。 「そっか。ありがとう」 「お兄ちゃん、僕のこと知ってるの?」 「……え?」 「僕、あんまり自分の事憶えてないから……。何か凄く大事なものを探してたはずなんだ。……でも、それもよく思い出せなくて……」  僕が把握している事は、当時新聞で書かれた行方不明となってから遺体が発見されるまでの事実関係だけだ。  当時の報道でも、何故そんな水嵩が増して危険な場所付近で目撃されたのかと言う点に関しては疑問視されていたようだけれど、有力な情報は出てこなかったらしい。 「ごめん。僕も君が探している大事なものが何なのかまではわからないんだ」 「……そう」  縋るような目を僕に向けていたソウタ君は、残念そうに呟く。 「……探さなきゃ。……じゃないと……」  そして鈴音の手を静かに解き、 「僕は、まだ帰れない」  それだけ言い残して、また姿を消してしまった。 「……その大事な何かを探して、水位の増した河川敷へ来ていた……と。ソウタ君と、香内蒼汰君が同一人物と言う事だけは間違いなさそうね」  ソウタ君の居なくなった辺りに目をやりながら、婆ちゃんが言う。 「うん。……でも……それだけだ」  彼の探しているものが一体何であるのかはソウタ君自身もよく憶えていない様子だったし、当然僕らも有力な情報を持ち合わせていなかった。  ただその時僕の頭の片隅には何故か、依子さんとその事件に関して話した時に感じたあの人の表情と、それを見た時に感じた小さな違和感がチラついていた。
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