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「……え……ぁ……?」
──何が、起こったの?
女がゆっくりと見下ろせば、自慢の白い肌の下から見慣れないモノが見えた。
「ぁ、ぁ……ゃ……」
──これは何。これは何?
──どうして。どうして?
何の変哲も無い夜だった。いつもの様に街角に立ち、大小の花束が詰まった籠を手に道行く男に声をかける夜のはずだった。
霧が出ていたが、そんなのは珍しくない。この街は『霧の都』と呼ばれる街。昼間でも霧が出る程だ。
だが今宵は格別に霧が濃かった。一つ先の角すら見えない濃霧に街灯の灯りが滲む。さすがにこの霧の中を出歩く者も少ない様だ。
──今夜はお茶挽きかしらねぇ?
この分では客は取れそうに無い。壁に凭れた女が小さな欠伸を洩らし……ゆらりと霧の中から浮かび上がったシルエットに吐いたばかりの息を呑んだ。ひゅっ、と女の喉が鳴る。
「……嫌だ、脅かしっこ無しですわよ」
慌てて愛想笑いを作り、シルエットの主を見ながら唄う様に言葉を紡ぐ。
「お花は如何? 小さな一束2圓、大きな一束5圓」
成人男性の平均月給がおよそ100圓である。花束一つにしては高かろう。だが女が本当に売るのは花束では無く、女自身。女は花売娘であった。
──身なりもいいし、お金はありそう
貼り付けた愛想笑いの下で女は素早くシルエットの主である男を観察する。帽子で顔は見えない上に辛うじて覗く口元には髭。だがその髭はきちんと手入れがされているし、服の仕立ても良さそうだった。ステッキを持っていない事からそう年配ではなかろうと見当を付ける。
すい、と黒い皮手袋に包まれた指先が大きな方の花束を差す。そしてもう片方の手がコートのポケットから硬貨を一枚取り出して女へと差し出された。
「ありがとうございます。では……こちらへ」
女はそそくさと5圓硬貨を籠へと仕舞い、男を自分が立っていた街角の路地裏へと誘った。
それが自分の死を招くとも知らずに。
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