第35話(2)

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「今は登らないのか?」 「そんな暇はない。もう何年も前に道具も全部処分したしな。今はせいぜい、登山地図を眺めるぐらいだ」  和彦は、殺風景な鷹津の部屋の光景を思い出し、そこで一人、地図を眺める男の姿を想像して、少しだけ胸が苦しくなった。 「けっこう健全な趣味を持ってたんだな……。それがどうして、悪徳刑事になんてなったんだ」 「余計なお世話だ。お前のほうこそ、どうして、ってやつだろ」  確かに、と和彦は苦笑を洩らす。水族館の出口へと向かいながら、和彦は足元に視線を落とす。 「足、痛い。今日は歩きすぎた」 「総和会も長嶺組も、お前をちやほやして、歩かせやしないんだろ。まだそんなに歩いてないぞ」 「靴がまだ、足に馴染んでないんだ」  唐突に鷹津が黙り込み、和彦もあえて話しかけなかった。鷹津が再び口を開いたのは、水族館を出てからだった。 「――……少し早いが、晩メシを食いに行くぞ」  それからどうするかという説明を、あえて鷹津が呑み込んだ気がした。察した和彦は、心臓の鼓動がわずかに速くなるのを感じながら、ああ、と囁くような声音で応じた。  日が落ち始めた頃には、二人はホテルの部屋に入っていた。     
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