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スタッフが診察室を出て行き、その姿を見送った和彦はカップに口をつける。紅茶を一口飲んだところで、小さく声を洩らしていた。寸前の他愛ない業務上のやり取りが、まるで小骨のようにチクチクと和彦の中で刺さる。
一体何が引っかかるのかと戸惑ったが、交わした会話を丹念に頭の中で辿っていくうちに、あることに気づく。拍子抜けするほど呆気なく、疑問は解けた。
やられた、と和彦は呟く。まさに、そうとしか言いようがなかった。
デスクの引き出しから携帯電話を掴み出すと、慌ただしく仮眠室へと駆け込む。腹立たしさすら覚えながらある人物へと電話をかけていた。
『――……珍しいですね。先生が、平日の午前中からわたしに連絡をくださるなんて』
寝ているところを叩き起こしてしまったらしく、電話越しに聞こえる秦の声は低い。いつもであれば少しばかり罪悪感の疼きを感じるだろうが、今はそれどころではなかった。秦が寝ぼけているのをいいことに、前置きもなく要件を告げる。
「鷹津と連絡を取っているだろう」
返ってきたのは、十秒以上の沈黙だった。秦が意識を覚醒させ、上手い対処法を考えるための時間だと、和彦は解釈する。
ふっと息を吐き出してから、秦は慎重な口ぶりで問いかけてきた。
『どうして、そう思われるんですか?』
「昨夜店を出てから、……鷹津を――に、似た男を見かけた。あくまで、〈似た男〉だからな」
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