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だったら頼むと言い置いて、ダウンジャケットを抱えた和彦はキッチンを出る。ダイニングでイスに腰掛けると、キッチンに立つ千尋の後ろ姿を眺めるしかなかった。
「――お前、こんな時間にやってきて、会うのはやめろとぼくを説得するつもりだったのか?」
沈黙が居心地悪くて、つい和彦は話しかける。背を向けたまま千尋が応じた。
「考えてなかった。……オヤジが、お前も聞く権利はあるからって教えてくれたんだ」
「別に、お前を邪魔者扱いしたわけじゃないからな。考えたうえで、あえて言わなかった。ただ励ましてほしいとか、支えてほしいと思うなら、みんなに言って回ってた」
「三田村にも?」
千尋に見えるはずもないのに、曖昧に笑いかける。
「そうだな」
「気にかける男が多くて大変だ」
千尋の口調から、皮肉ではなく本気でそう思っているのは伝わってくる。肯定するわけにもいかず、和彦は曖昧な言葉を洩らしていた。
ただ牛乳を温めているだけとはいえ、なかなか様になる後ろ姿を見せている千尋に、和彦は口元を緩める。荒々しい空気を振り撒きながら訪ねてきたが、どうやら落ち着いたようだ。
自分のために何かを作ってくれる人間の後ろ姿を眺めるのは、気恥かしさに胸の奥がくすぐったくなるが、つまりそれは、嬉しいということだ。
「蜂蜜はどれぐらい入れる?」
「ほんのり甘め」
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