金昌寺

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 金昌寺参拝を済ませて家に戻った時、近所の人が大勢待っていた。 二人に結婚のお祝いを言うためだった。 お祝いの品の中に千人針があった。 晒の布に心が縫いつけてある。八重子は思わずその心を抱きしめていた。 「まだ二百人分なんだけれど……」 すまなそうにその人が言う。 孝一は、千人針を抱いて泣いている八重子毎抱き締めた。 嫁にもらったばかりの可愛い女房と、明日は離れ離れになる。 孝一の目にも涙が溢れていた。 「いいねえ、若いもんは」 隣のおばさんが冷やかす。 孝一は慌てて八重子を離していた。 「もう、おばさん余計なこと言わない。いいとこなんだからさ。ホラ、気にしないで抱きついた抱きついた」 そんな野次の飛ぶ中、八重子は赤面した顔を上げていた。 心からのお礼を言いたかった。でも、涙で言葉にならなかった。 「自分達のためにこんなことまでして頂きましてありがとうございました」 孝一が八重子を気づかってお礼を言ってくれた。 八重子も深々と頭を下げた。  この時八重子十九歳。 敗戦の色は濃くなったと言っても、まだ日本の勝利を信じていた昭和二十年四月。 金昌寺の桜に見守られ、一組の男女が、出兵前のほんの短い夫婦生活を悔いのないものにしようとしていた。 孝一の両親は、そんな二人をそっとしておいてくれた。最後の夜なのだから、きっとつもる話もあるだろうに。 八重子は、孝一の胸に抱かれながら、優しい家族に感謝していた。 「八重子頼む。俺の親を頼む。俺はおまえと出会うために生まれてきた。きっとそうだ。だからこんなにもおまえが愛しいんだ。おまえも俺のことが好きならな、俺の親を愛し、そして一緒に待っていてほしい。俺は帰ってくる。必ずここに帰ってくる。おまえを残して死んでたまるか!」 孝一は八重子の身体をきつく抱き締めた。 「孝一さん痛いわ」 八重子は思わず声を上げた。 でも孝一はそれを無視した。 孝一は尚もきつく八重子を抱き締めた。 八重子はじっと耐えた。孝一の思うがままにさせようと決めたからだった。 何者かに取り憑かれたように、孝一は八重子を求めた。激しく甘く、まるで縄でも糾うように、身も心も一つになろうとする二人だった。
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