金昌寺

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 節の心尽くしの祝い膳をほうばった後、孝一は八重子を伴って浅見家の墓のある裏山に広がる金昌寺へと向かった。  秩父札所四番、金昌寺。 四番下と言う地名はここに由来したものだった。 江戸時代中期に建立された本堂。 御本尊は鎌倉時代末期に作れた十二面観世音菩薩。 境内にある千体以上の石仏は、浅間山の噴火によって起こった飢饉の犠牲者を供養するために、六代目の住職の発願で集められたものだった。 久しぶりの金昌寺参拝。 八重子はワクワクしながら孝一の後を追った。 八重子には忘れられない思い出があった。 御釈迦様に甘茶を掛ける花祭りの日、孝一と八重子は初めて会ったのだった。  昭和九年。 日本は第一次世界大戦による、戦争景気で沸いていた。 埼玉県の奥に位置する秩父地方も例外ではなかった。 人々はこぞって、提灯行列などに参加した。 老いも若きもみな元気に、この悦楽を謳歌していた。  節とナツは、久しぶりに顔を合わせ、思い出話に花を咲かせていた。 (早くしないと甘茶が終わっちゃうよ) 孝一は気が気ではなかった。母を急かそうと、前掛けを引っ張ったりしていた。 それでも二人は話をやめなかった。ナツの母が選んだ参道、三沢。 山越えした身体が悲鳴を上げ、ついに倒れてしまった母。 母を助けようと必死だったナツ。 節とナツが会うまでの道のりを、節はニコニコしながら聞いていた。 身体を癒やすために、借りた民家は余り裕福そうでもなかった。 それでも道端で倒れた見ず知らずの母に布団を貸してくれた。 暖かいお粥でもてなしてくれた。ナツの心の中に優しさがしみ込んでいった。 三沢はそんな思いやりで包まれた里だった。 だからナツは嫁いだのだった。ナツを励ましてくれた少年の元へ。
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