851人が本棚に入れています
本棚に追加
/38ページ
近藤勇の本懐
先の政変で、会津から新選組の名を拝命し、遂に本格始動を果たしたものの。
局長、近藤は本懐を遂げること未だ叶わず、憂いていた。
攘夷の完遂である。
この時期、幕府内で攘夷論は二分していた。
開国はやむなし、然れども各国と対等な国交への道を切り開く。との、
勝や佐久間らが掲げる形の攘夷と。
国交など言語道断、皇国日本から夷狄を排除すべきとする攘夷とに。
当然、後者の論者である近藤からすれば、勝らが掲げる攘夷論は『異国かぶれからくる開国論』でしかなく。
近藤は、ゆえに悩んでいた。
まだ、新選組が取り締まる不逞浪士たちのほうが、近藤の想いに近い、という事に。
彼ら不逞浪士たちの、“屈辱的開国の責任者である幕府および徳川を糾弾し、幕府の天皇への恭順と、即時の攘夷実行を望む、過激尊王攘夷論” は、勿論、
今上天皇、孝明帝の望みである、“あくまで徳川主導の施政の元、攘夷を決行すべしとする、公武合体尊王攘夷論” とは異質のものであり、
いってみれば、道を誤った尊王であることには間違いない。
然れども、それでもその心は、同じ尊王攘夷なのだ。
最初のコメントを投稿しよう!