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ねえ。そう軽く呼び掛けて僕は彼女に笑顔を向けた。
B「もう分かってるんじゃない……? もういいんだ。もう十分だよ、十分なんだ」
声は、朝の張った空気に真っ直ぐ通った。
A「まったく、何いってるの?」
冗談めかしているのか素なのか、後ろを覗く彼女の顔には花が咲いていた。
ポケットに入れた手を軽く握った。けれどそこには掌の温もりや指先の冷たさはなかった。
B「今まで本当にありがとう。君がいなかったら僕は……きっとまだ妹や母さんたちと家にいたと思う」
いわなくてはいけない。伝えなくてはいけない。もう大丈夫なんだと。
彼女は両手を後ろで組み、半回転して振り返った。こころなし目が潤んでいるような気がする。
A「もう……見えなくなったの?」
白い息とともにそう訊かれた。
B「うん」
即答した。
まだ見える、と嘘をつくこともできたはずなのに……。彼女もそれを望んでいるのだろうとも思っているのに……。
けれどこれが僕の答えだった。彼女を縛ってはいけない。
A「そう、……もうこの世に本当に未練はないってことね」
俯き、顔に少し影を落とした彼女はゆっくりいった。
B「うん、もう君以外の誰も見えないよ。事故に遭って僕が死んだ三年前のあの日から、やっと見えなくなった。君にはずいぶん手間をかけちゃったね」
三年前、中学校の卒業式を終えたその日に僕は事故に遭って死んだ。死んだ直後は何が起こったのか分からなかった。血を地面に吸わせる僕の体が見えて、僕の葬式が行われた。僕のことは皆には見えていないようだった。
彼女が現れたのはそんな時だった。僕は初め、天使が迎えにきたのかと本気で思ったのだけど違った。後に彼女にいったら苦笑いされた。そんないいものじゃないよ、と。
僕は彼女から説明を受けた。自分がいわゆる幽霊になっていること、若くして死ぬと未練を絶てず成仏できないことが多いのでその手伝いに彼女が来たこと、僕が未練を感じなくなった人から順に見えなくなること。つまり僕が誰も見ることができなくなれば成仏できて、それが彼女の使命なのだった。
彼女は高尚な理想論を述べたりするのでなく、ただ僕と一緒にいてくれた。そうしているといつの間にか、最初は知り合いが、次に友達が、次に親友が、そしてつい最近、妹と父と母も見えなくなった。
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