2 クッキー

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2 クッキー

 受付の男がぼくへと示した入会の条件は、たった一つだけだった。 それは、名前を名乗ることだった。 「お名前を頂戴しております」 「・・・それだけ?本当にそれだけでいいの?」  思わず、疑っていることを隠さない口調で聞き返してしまったぼくにも、男はあくまでも丁重だった。 「はい。以後、私共の方ではそのようにお呼び致しますので」 「・・・・・・」  ここに至ってようやく、ぼくは男が必ずしも、本名を名乗らなくてもいいと言っていることに気が付いた。  まぁ、ぼくの名字はそう珍しいものではなかったし、とっさに適当なのも思い浮かばなかったので、そのまま本名を名乗った。 「カンノ様ですね。ありがとうございます。では、そのように承りました」  男は口ではそう言ったが、特に何か、記録のようなものをとっているようには見えなかった。 それと、これは分からないでもないが、会員証も渡されなかった。  続いて男が説明したのは、料金のシステムだった。 「ネコ一匹に対しての料金を頂いております。お時間は、お客様の許す限りで結構です。今回は初めてでしたので、こちらの方で区切らさせて頂きました」  ぼくが最も気になっていたその、猫一匹の料金はというと・・・さすがに、普通の猫カフェとは桁が一つ違っていたが、ぼったくりと言うほどの高額ではなかった。  気乗りがしない職場内での飲み会や、全く虚しい人数合わせの合コンを二回パスすれば、おつりがくる。 そう思うと途端に、明日からが楽しみになった。  ゲイであることを隠して、「何となくまだ結婚していない三十代の男」のフリをしている生活が。  時間に制限を設けなくて大丈夫なんだろうか?と、つい店側の立場になってしまったが、なかなかどうして魅力的な「システム」だった。 そうだ、今度来たらティルと一緒に、思う存分ゴロゴロしよう。きっと、気持ちがいいに違いない。  ぼくは『ネコが見る夢』を出た。次にバーでシロタに会った時には礼を言って、一杯おごろうと心に決めて。  時間とカネとに余裕が出来たとある日の夜に、ぼくは『住のゑ』へと顔を出してみたが、シロタに会うことは出来なかった。 もっともこの店は、酒を飲む為だけのではない。むしろそれは、付け足しに過ぎなかった。ぼくを含めて大抵は、一、二杯飲む間に話をまとめて、場所を移動する。
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